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創作論5 「謎」を仕掛けよ

記憶の中から創作論を掘り起こす4回目。「謎」が大事、という根拠についてのお話を。

文学にしろ映画にしても音楽でもマンガにせよ、創作の絶対的なルールはあるか。ひとつだけある。
おもしろければいい。それだけ。
ジャンルをはみ出ているとか、「こんなのクラシック音楽じゃない」みたいな言を聞くこともあるが、そんなのどうでもいい。むしろ既成のジャンルという枠にちんまり収まっているほうがよほど「だいじょぶ?」と言いたくなる。

とはいえ、各ジャンルがよく活用している手法というのはあるもので、小説、映画、マンガといった近代以降に出てきた表現は、ある共通の特長を持つ。
「謎」を駆動力にしているところだ。

近代以前の作物、たとえば叙事詩や伝承話は、英雄とか神とか鬼、それに王子にお姫様、おじいさんとおばあさんなど、だれしも知っている存在が登場して、みんなの知っていることをする。すでにわかっているお話を、「よ、待ってました!」と楽しむのが基本。その伝でいえば「水戸黄門」は前近代の物語の型を大いに活用しているといえる。

近代以降のお話は、それ以前とは構造が異なる。主人公は、登場時点ではどこの馬の骨かもわからぬことが多い。何者で、何をするのか、まったく予想できない。謎だらけの存在である。
ワンオブゼムの彼または彼女が、何かに巻き込まれ、行動を起こし、すこしずつどんな人物なのかが明らかになっていく。動き回るうちに目的が生じ、どこかへ向かおうとするが、難題や難敵が現れ、目的へたどり着けるかどうかわからずハラハラする。そうこうするうち、のるかそるかの大勝負の時がきて、最大の壁を打ち破ろうとするが、さてその思いは成就するや否や……。
いつも一寸先は、闇であり謎に満ちている。読者は登場人物とともに謎を解きながら進む。常に眼前の謎が気になって、ついつい読み進んでしまうという仕掛けだ。

20世紀の社会は石油が動かした、すなわちエネルギードリブンだったと言われる。
21世紀の社会は、データドリブンに移りつつあるという言説がある。
この言い方になぞらえれば、近代以降の表現は、謎ドリブンなのである。

謎で話を進めるという特長だけを際立たせたジャンルが、ミステリーだ。謎の提示とその解決プロセスのみによって作品を成立させている。ただ、あまりに謎性だけに頼り過ぎると、再読するに堪えないものになってしまうので注意が必要ではある。


近代表現に不可欠な謎性を、どう組み込み活用するか。そのジャンルの持ち味たるものを使うのがやはりよさそうで、たとえば小説ならもちろんそれは言葉となる。小説の場合は言葉しか表現をかたちづくる道具がないので必然的にそうなる。改めて、小説をおもしろくする力は、言葉の力しかないことを肝に銘じたい。
言葉の力というものの源泉はといえば、言葉をたくさん知って記憶しており、それを自在に駆使できるということに尽きる。記憶していて使える言葉が豊富にあればこそ、効果的な謎を設定したり、その答えの提示を引き伸ばしたりといろんなことができるのだ。

マンガであれば、謎性をできれば絵によって醸し出したい。いろんな絵を記憶し描くことができてこそ、謎を誘発したり引っ張ったりする表情やしぐさ、動きを表すことができる。
改めて眺め渡せば、世のマンガはいかに決まりきったタイプの絵ばかりで描かれていることか。マンガに使われている絵なんて、広大な海に浮かぶ小島程度しかない。まだまだマンガに使える絵はいくらでもある。
それらを発掘しながら、大いなる謎を作品内に目いっぱい仕掛けていきたいところだ。

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