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創作論12 いま日本で物語するってどんなこと?

 記憶の中から紡ぐ創作論の11回目。
 たとえば小説は、近代になって西洋で生み出されたジャンルであって、日本に伝わってきたのは明治時代に入ってから。
 漫画はといえば、「鳥獣人物戯画」のような中世の著作に起源を求める説もあるけれど、まあ小説と同じく近代の産物と考えたほうが収まりはいい。
 さて物語という存在に焦点を当てると、べらぼうに起源が古くなる。正確なところはだれにもわからないけれど、ヒトがヒトとなったころから、または言葉を操るようになって以来、物語はずっと紡ぎ続けられてきたと考えられている。
 なぜなら物語を共有し、集団の記憶を保持して伝えていくことが、人間の生存戦略の基本のキとして採用されているから。知恵を継承し文化を保ち文明を発展させ、ヒトという種が地上に満ちるにあたって、物語は必須のツールだったのだ。


 いつの時代も物語は人類の必須ツールだったのは変わらないけれど、物語を広めたり共有するために用いられる「メディア」は、各時代・地域によって変化してきた。
 原始のころは洞窟壁画がメディアとして採用されていたのだろう。あれは個別の絵というより、空間全体が物語を成している。
 日本なら、縄文時代の土器や土偶、あれは形態や紋様が文字の代わりとなって物語を語っている。
 各地で脈々と継がれてきた歌や祭祀、文字が普及してからは詩など、そして宗教も強力なメディアとなった。教会や寺院の内部は、物語伝承の装置だ。
 近代になると絵画、音楽、文学……。個人の表現が物語の担い手になる。日本の近代だと、物語が宿る依代として明治時代なら小説、昭和は映画や歌謡曲、現在なら漫画や動画が有力だっただろうか。


 ここで小説に目を向けると、小説は物語そのものというより、物語を宿し孕みながら、どうしたらいまの人間が物語的なものを存分に享受できるかと、実験を繰り返す装置のように思える。小説、それは物語について考える場、とでもいうか。
 小説は、近代になって生まれた「物語の依代」だから、近代特有の特長を有している。「個人」に着目しているところだ。近代とは個人が発明され発展してきた時代だから、小説にもその考えが反映されている。
 小説とは、個人の物語をつくることだ。
 ただ、この言い方には矛盾が含まれている。個人の物語なんて、本来は存在しない。物語は集団が共有するものとして生じるのだから。でも、近代小説はその矛盾を抱えながら進む。個人が世界の中でどう行動するか、他人との関係をどうつくり、発展させていくかを描くのを、小説は基本理念としたのだ。



 小説は明治時代以降に日本に入ってきた。いわゆる輸入品だったわけだけど、その際にも難しさがあった。個人と個人が関係することによって社会ができあがるという習慣がない日本では、小説内でどう個人を成り立たせればいいのか、イメージが湧きづらかったのである。
 日本で小説をやり、個人の物語をつくろうとすると、集団から離脱して浮遊している個人が世界を眺めているような構図になりがちだった。夏目漱石のつくった人物に、浮遊する「高等遊民」が多いのはそのためだ。ほかの
明治大正時代の作家がつくる人物も同様の構図といえる。
 この悩みはずっと日本文学が抱え続けてきて、いまに至る。そんな日本という土壌で、真摯に物語と格闘した作家に、中上健次がいた。
「枯木灘」は、主人公の秋幸が肉体労働に勤しむ描写が、繰り返し繰り返しなされる。無心に身体を動かし汗を迸らせるとき、それが秋幸にとって「個になる瞬間」だ。ただし、その「個」は他者との関わりから実感されるものではなくて、自分の世界に閉じこもって他者の存在を排除したときに達成されている。
 労働の手を止めて、他者とともにいるときの秋幸は、血縁地縁にまみれたドロドロの世界に身を浸している。太古から続く物語世界がそのまま息づいているような世界だ。秋幸は豊穣な物語世界に生きつつ、同時に個たろうともしてもがくが、なかなかうまくはいかない。「物語」と「個」が、ひとつの肉体のなかで座を奪い合っている、その衝突っぷりがこの小説のおもしろさだ。
 中上健次が書くことで探究しようとしたのは、「個人の物語が日本で可能か」という問いだったんだろう。


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