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第二十一夜 『谷川俊太郎詩集』

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」
と言ったのは田村隆一だけど、
きっと谷川俊太郎も、同じ感慨を抱いていたんだろうと思う。
彼にとっては(というか、誰にとってもそうだけど)、まずは世界が先にある。そこに生を持った自分が転がり出た。世界と自分は直接肌と肌を合わせて関係を取り結び、生活が営まれていく。
そんな日々を送るうち、世界をもうすこしよく理解したくなって、言葉を使うようになる。
言葉はたいへん便利なもので、使えば使うほど暮らしは楽に、豊かになる。
でも、あいだに言葉が挟まるぶんだけ、自分と世界の距離は遠くなってしまう。
それをよしとしないのが、田村であり谷川だった。言葉を詩としてつかうことに限定しようと、みずからを律した。
「私は詩には惚れていないが、世界には惚れている」
と谷川はいう。
世界が大事。詩は二の次ということだ。
ただし、言葉の支配する領分で過ごさなければいけないときには、
「すべてを詩の視線で眺めること、ポエムアイ!」(「ポエムアイ」)
を心がけてきたのだった。
彼が生きてきたおよそ百年のあいだ、ずっと。
詩のために生きているんじゃない、とかたくなに彼が言うのはよくわかる。
でも同時に彼は、まぎれもない詩人だ、谷川俊太郎は。


谷川俊太郎詩集
思潮社


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