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月をたべにいくはなし

え。ほんと? なあにそれ。どうやっていくの? どんなあじ?
 息せききって、ユウちゃんがたずねます。
「そうだなあ。味はねえ。香ばしかった、かな」
こうばしいって! なんで? もっと。おしえて。ねえ、どうゆうこと? なんのあじ? なにあじ?
「うん、そうだねえ。タマゴ……かな。タマゴの味に近かったかも」
イスに座って脚をくみ、おまけに手もくんで、にこにこしながらユウちゃんの顔をながめるお父さんでした。
なんで。
なんで。
なんでっ、なんでっ、なんでーっ。
 さあ、お得意のセリフがでましたよ。これできょう、なんかいめの「なんで」でしょうか。
いつでもどこでも、だれが相手でも、ユウちゃんは「なんで、なんで」。
いくらでも、くりかえすのです。お父さんには、とくにそう。だってお父さんはいつも、どんなことだって、めんどうがらずにおしえてくれますから。
 なんで、タマゴのあじなの? それに、さあ! なんで、ユウもつれてってくれなかったの。もうーっ。
おとうさんのひざこぞうにまとわりついて、あかく染まったほっぺたを目いっぱいふくらませ、足をふみならします。
おかっぱにしてある髪にそっと手をやりながら、お父さんは、
「そりゃわるかった。でもなあ。ユウはそのとき、ぐっすり眠っていたからさ」
そうなだめようとしますが、効果はなさそうです。
ねてたっていいのにっ。だっこして、つれてってくれればいいじゃない! それか、おこしてくれたらいい。ユウ、ねてないから。よばれたら、めをすぐあける。もう、しんじらんないっ。
「そんな言いかた、どこで覚えたのさ。とにかくもうおそい時間。きょうはもう、ふとんにおはいり」
ますますあかくなるユウちゃんのほっぺたを、お父さんは両の手ではさみこみます。火照りをさましてあげようというように。
そうして、おやすみのあいさつをします。
「いい夢みてね、おやすみ」
たしかに、おふろに入って歯みがきもおわって、もうとっくに寝る時間。興奮してわすれてましたが、さっきからユウちゃんの頭は、ほとんどくるり眠気につつまれているのでした。
お父さんのしごと部屋からでていくユウちゃん。足どりが、危なっかしいたらありません。左、右、左、右。踏みだした足の方向に、いちいち、からだがぐらり揺れてます。しごと部屋には、床にまで本や雑誌がごちゃごちゃと積まれていて、いつユウちゃんがぶつかってしまうか、ひやひやものです。
部屋のドアを開けはなし、廊下へでたユウちゃんは、ふらふらくらくらすすみます。
口からひゅうひゅうと、ちいさな音がもれています。どうやら、お母さんを呼んでいるつもりのよう。口をおおきくひらくのも、息を強くはきだすのも、ねむくておっくうで、ちゃんとしたことばにならないのです。
これでは、台所で洗いものをしているお母さんまで、声はとどきません。ほとんどことばにならないユウちゃんの声が、しばらく廊下にひびいていました。
流しの水をとめたお母さんが、やっとちいさい声にきづきました。ひょいと廊下に顔をだしたお母さんに、ユウちゃんはたおれこむように体重をあずけます。
スカートに目と鼻と口、ぜんぶをいっぺんにこすりつけながら、報告をしました。
おかあさん。ひどいの。おとうさんがね。ね。たべ、ちゃったんだよ。
「ん。なにを?」
たまご。
「え。どのタマゴ? 冷蔵庫の?」
おそらの。
「そらの、タマゴ、かあ。ふうん。たべちゃったか。おとうさん、タマゴ料理だい好きだからね。たべてしまったものは、もうもどらない。かんべんしてあげようよ」
かんべんもなにも、ユウちゃんはもう頭が、ちゃんとはたらいてくれません。あっさりと、こくり。おおきくひとつうなずいて、またふらふら、ふらふらと寝床のほうへとすすみました。こころはもう、とっくにふとんのなかです。
「めだま焼きなら、朝ごはんにつくってあげるからね」
だから安心してぐっすりおやすみ。おかあさんの声に背中をおされ、のたのたとすすむユウちゃんです。
めだま焼き、ということばを耳にして、ほんのみじかいあいだ、香ばしいにおいが、ユウちゃんの鼻のおくからわきました。でも、さすがにいまはどんな食べものより、ねむたさの勝ちです。
ふとんまでたどりついたユウちゃんは、そのままこてんと倒れこみます。あお向けで、ひとつおおきく息を吸いこんだと思ったら、つぎの瞬間にはもう、眠りについていました。
口はぽかんとあけたまま。パジャマのすそをしっかりズボンに入れたおなかは、ぽこんと上に突きでたまま。
このままじゃ、風邪をひいてしまいそう。でも、だいじょうぶ。きっとすぐあとに、お母さんが、ふとんをかけにきてくれるでしょう。


それにしても、すでに夢のなかのユウちゃんが、さっきあれだけおおさわぎしていたのはなんだったのでしょう。
まあ、おおさわぎもしかたありません。だってお父さんが、いきなり「月をたべちゃった」なんて言いだすのですから。
いつものとおり今夜も、ユウちゃんはおやすみまえ、歯みがきのしあげをしてもらおうと、お父さんの部屋に駆けこんだのでした。
おとうさんは、窓ぎわのしごと机におさまって、暗い夜空をながめていました。
なに、してるの。
「月、見てるんだよ」
ユウもみるっ。みたい。みせてえ。
 歯ブラシを手にもったまま、ユウちゃんは、お父さんのひざの上にちゃっかりのっかりました。そこからは、ちょうど窓の外がよく見えます。
あああ、いいくうき。おいしいねえ。
思ったままをいうと、お父さんは、「ナマいうなあ」と笑いました。そうして、
「ほら、そのまえに歯みがきのしあげ」
歯ブラシを取りあげて、上の歯、下の歯、右も左も、きれいにごしごしとしてくれました。
「すぐにうがいしておいで、おわったらもうすこしだけお外を見せてあげるから」
そう言いながら、ユウちゃんの背中をぽんと押して、洗面所へと向かわせました。
小走りに駆けていったユウちゃんは、あっというまにうがいを済ませて、すぐお父さんのひざの上に戻りました。
もういちど、しげしげと夜空をながめてみますと、きづいたことがひとつ。
あれ、あれ。なんであんなにちいさくなっちゃったの。このあいだみたとき、まんまるだったよ。ずいぶんやせちゃったねえ。はんぶんしかないよ。どうしたの、お月さま。なにかたいへんだったのかな。
「ああ、それな。……ごめん。じつはね」
 遠い目をして、お父さんがいいます。
「じつはさあ……」
なんと。きのうの夜おそく、仕事をしながらお腹がすいてしまったお父さん、ついつい、月をぱくりとたべてしまったのだとか。半分たべたら、お腹がいっぱいになったので、そこでやめておいたというのです。
それを聞いたユウちゃん、もう興奮がとまりません。さきに話したように、
なんで。なんで。なんでー。なんでユウもつれてってくれなかったのっ。
と、お父さんを問いつめたのでした。
 ひとしきり、おおさわぎとなりましたが、眠いきもちには勝てなかったユウちゃんです。いったん夢のなかにいってしまえば、お父さんからきいた話も、あらかたわすれてしまうことでしょう……。
と、思いましたが、どうやら甘かったみたい。ユウちゃんのたべものへのきもちは、そんなよわいものじゃありませんでした。


次の朝、ぱちりと目をさましたユウちゃんは、しっかり昨晩のことを覚えていたようです。
もともと、寝起きはいいほうです。ぱっとおふとんから飛びだすと、げんきにごあいさつをして、お母さんが用意してくれた朝ごはんに、さっそくとりかかります。
食卓にすわって、もくもくとたべるあいだ、お母さんは台所で水しごとをしながら、ユウちゃんのたべっぷりをよく観察しています。ごはんのメニューには、やくそくのとおり、ちゃんとめだま焼きが出ていました。ユウちゃんのだい好物。ぺろりとたいらげてしまいます。
お父さんはもうお出かけしてしまったあとでした。電車に乗って、仕事のひとに会いにいったのだそう。そうなると、決まって帰るのはおそくなると、ユウちゃんはよく知っています。とっくにユウちゃんが寝たあとで、こっそり部屋にはいってくるのですが、お酒のにおいなんかがたっぷりするから、すぐわかるのです。
それはいいのですが、ああ聞きわすれちゃったなあと、ユウちゃんはおもっていました。
お月さままで、お父さんはどうやってのぼっていったのかなあ。
お父さん、もうおしごとなんだよね?
 いちおう、もういちど聞いてみますと、お母さんが、
「そう、もうとっくに出かけたよ」
そっか。じゃあきょうは、ユウもがんばるね。じぶんでいろいろかんがえる。
「ああ、そうね。それはいいことね。たっぷり遊んでね。お母さんも、ちゃちゃっと、朝のうちにおうちのしごと、終わらせるからね。そうしたら、いろいろあそんであげる」
お母さんはどうやら、月をたべてしまったのがお父さんだったという夕べの話なんて、とっくに覚えていないようでし。
でも、ユウちゃんは違います。しっかりと覚えていますよ。覚えているだけじゃありません。ひと晩のあいだに、お父さんにしてもらったお話は、お母さんがオーブンで焼くカップケーキみたいに、どこまでもどこまでも、頭のなかでぷっくらふくらんでいるのです。
おお急ぎで、朝ごはんを食べおえました。アーちゃんは、ちゃきちゃきと音がきこえてくるほどに、リズムよく朝のしたくをこなします。食器のかたづけ、歯みがき、着がえも、お母さんになにかいわれるまえに、さっさ、さっさとこなします。いつもこうだと、しかられることがずっと少なくなって、いいかもしれません。
そのいきおいのまま、ユウちゃんは準備にとりかかります。なんの準備かって? そんなの、きまっています。月へいくための、です。
忘れもののないように、もっていくものはきちんとそろえないと。お出かけのときにつかうおおきな紺色のリュックをもって、まっさきに向かったのは台所。お母さんのすがたは、どうやら見えません。おふろのほうでかすかに音がするので、浴そうのおそうじをしているんでしょうか。
戸だなをあけて、ユウちゃんがリュックに詰めたのは、お砂糖です。だってお父さん、たしかいっていましたよね。月は、香ばしいって。
ということはですよ、ちょっと甘さがたりないのでしょう。タマゴでできたたべものは、たっぷりお砂糖をかけたほうが、きっとおいしくなります。
戸だなには、青と赤の容器にはいった、白いつぶつぶの粉が並んでいました。このうちのどっちかがお砂糖だということは、ユウちゃんもしっているのです。でも、ここはちゅういが必要。赤と青をまちがえると、たいへん。どちらか片ほうは、お塩ですからね。
つまり、赤がお砂糖なら、青がお塩。青がお塩なら赤はお砂糖。そうかんがえて、まちがいありません。
これは、ちゃんとためしておかないといけません。ユウちゃんはひとつおおきくうなずいて、青のほうをなめてみます。とたんに、顔がくしゃくしゃです。どうやら、いきなりまちがえてしまいました。
でも、泣きません。こんなことでは。きょうは、くじけているヒマなんてないんですから。
よし、これで赤がお砂糖ってわかりました。じゃあお塩のほうは放っておいて、と思ったけれど、ちょっと考えなおします。
月がタマゴ味だとするでしょう。タマゴ焼きみたいなかんじだったらどうしましょう。じゅうじゅうと焼かれて、ちょうどいい具合に、こげめのついたようなものだったら。お塩とコショウがほしくなるかもしれません。うん、コショウはまあいいや。お塩だけは、もっていくことにしたユウちゃんでした。
あと必要なものは、なにかあるでしょうか。戸だなの、となりのとびらも開けてみましょうか。ああ、これだ、これでいけますよ。だいじなものがみつかりました。どうやってお月さままでのぼっていくか、いま、きまりました。
奥のほうにしまってあった、マカロニのおおきな袋をみつけたのです。封は切ってありますが、中身はほとんどのこっています。やった、やったっ。おおよろこびで、袋ごとリュックに詰めるユウちゃんです。
ほかにいるものは、あるかな。うん、ないな。あったとしても、じつはもうリュックのなかには、ほとんどすきまがありません。
だいじょうぶ。これでしゅっぱつ! 


ユウちゃんは台所を駆けぬけて、ベランダへとまっしぐら。と、と、と。でも、とちゅうで、リビングのおもちゃ置き場のまえで、いったんとまります。そうして、積み木がぎっしりはいったおおきな箱を、そのままずるずると引っぱりだしましたよ。
ずるずるずる。へやのなかを引きずっていって、ベランダへとつづく窓を開け、なんとユウちゃん、積み木をベランダの床へぶちまけました。
それから、せっせ、せっせと積み木を積みはじめました。上へ、上へと積み木はかさなっていきます。そうか、ユウちゃん、塔を立てているのです。月へむかうための、これは、はっしゃ台のようなものなのです。
積み木はどんどん積みかさなって、ユウちゃんの背よりもずっと高い塔が、できあがりました。もっている積み木を、ぜんぶつかってしまいました。
その塔にしがみつき、ユウちゃんはうんせ、うんせ、とのぼっていきます。いちばん上までのぼりきると、ずいぶん月へと近づきました。たちあがって、ぐっと背のびをして手をのばせば、もうすぐ月にとどきそう!
でも、やっぱりまだすこし、たりないようです。ここからが、ユウちゃんの腕のみせどころ。塔のてっぺんでたちあがると、リュックを前向きにかけなおして、ふたを開けました。このなかに、月へとどくためのだいじなものが、しまってあるのです。
そう、さっき詰めこんだ、マカロニの袋です。ユウちゃんはなかから一本を取りだすと、よこ向きにして、空中にそっと置いてみます。すると、どうでしょう。手をはなしても、マカロニはちゃんとそのまま浮かんでいます。きょうはなんだか空気にねばりけがありますから、マカロニがうまくからんで、そこにとどまっているのでしょう。
宙にうかんだ一本のマカロニ。その両となりに、ユウちゃんはマカロニをならべます。三本をよこ一列にならべると、これでどうやら足をかけることができそうです。その上に、また三本をよこ一列。またその上に、三本をよこ一列。
ユウちゃんはもくもくと、夢中になってはしごづくりをつづけます。いざとなったら、いがいなほど集中力はあるほうなのです。ほっぺをまっ赤にしてふくらませ、寄り目がちになりながらハシゴをかけていきます。なかなか、いい調子。
前向きにかけなおしたリュックから、次から次へとマカロニが取りだされていきます。
けっこうたくさんいるなあ。ごめんね、おかあさん。これじゃあ、ユウのだいすきなマカロニグラタン、つくれなくなっちゃうね。またあたらしく買っておいてね。そのかわり、お月さまのいちばんおいしいぶぶん、おかあさんにも、とってきてあげるね。
さて、お父さんのぶんは、どうしようかなあ。だってもう、ひとりでたべてきちゃったんだし。だから、いらないかな。でも、だいすきなおつまみみたいのがあったら、やっぱりとってきてあげようか。岩のかげなんかに、お父さんがすきそうな、おいしそうなもの、きっとありそうだよ。
ハシゴはちゃくちゃくとつみかさなります。上へ上へとかさねていくには、じぶんでつくったハシゴの一本ずつを、足で踏みしめながらすすむのです。
ユウちゃんが足をかけると、重みでハシゴはすこしたわみます。でも、だいじょうぶ。マカロニはちゃんとユウちゃんのからだを支えてくれます。上へ、上へとどんどんのびていくハシゴのシルエットは、ちょうど三日月の弧のような線をえがいていますよ。
きづけば、ずいぶんのぼっていました。ユウちゃんがふと見あげると、すぐそこに月がどんっ、とありました。
いつも見ているのよりも、ずっとおおきくて、空のほとんどが埋めつくされてしまいそう。かがやきも、とても強くて、ほんとうはこんなにもまぶしいものだったんだとびっくりです。
そして、ああ、すこし香ばしいにおいまで、ただよってきたじゃありませんか。
このにおいがユウちゃんを元気にしました。さあはりきって、あそこまでのぼってしまおう。つぎのハシゴに足をかけようとすると、はらはら、はらはら、あたまの上に落ちてくるものがあります。
目にはみえないほどこまかくてかたい粒です。ほとんど透明だけれど、うっすら黄色がかっています。
ああ、きれい……。これはたぶん、ひかりのつぶつぶです。お日さまからとんできて、月の表面にぶつかったひかりが、はねかえって落ちてきたのでしょう。お日さまのひかりは、もともとは透明なはずですけど、ぶつかったひょうしに、月の表面の色がべったりつくのです。それで、黄色の粉みたいになっているんですね。
ひかりのつぶつぶをあたまからかぶりながら、ユウちゃんは月に、「ようこそ」と言ってもらえたような気分になりました。
それで、ハシゴをつくるのがいっそうたのしくなりました。よし、またもう一段。よく気をつけて。おちないように、そうっと。そうっと。こんども、うまくかかりましたよ。さあ、あたらしくできたハシゴにまた足をのせようと、ユウちゃんはぐっとからだをもちあげます。すると、そのしゅんかん、ふうわりとユウちゃんのからだが浮きあがりました。
あっ。おちる! ユウちゃんのからだに、おもわず力がはいります。
おちていくぅ。わあああ。


そうおもったユウちゃんでしたが、あれ。なんだか、おちていく向きがへんですよ。上のほうへ、上のほうへとからだが引っぱられていくのです。そう、月のほうへ向かって、ユウちゃんはおちていきます。もしも地球からこのようすを眺めているひとがいたら、ユウちゃんのすがたは、月へとぐんぐんのぼっていくように見えたことでしょう。
 へんなかんじ!
上へ上へおちていくのを、しばらく楽しんでしまったユウちゃんです。ふと見あげれば、いえ、見おろせば、でした。月の表面のようすがはっきりわかるようになってきました。
あかるく、まっ黄色にかがやいている場所は、お日さまのひかりをたっぷりあびているところでしょう。そのあたりは、表面がずいぶん熱くなっているようで、ところどころ、ふつふつとちいさな泡がたっています。
月のじめんにでこぼこはあるので、どうしてもお日さまがあたらないところもでてきます。そんなかげになったところは、ひんやりとして、表面はしっかりとかたまっているよう。たとえスプーンをおもいきりふりあげて、突きたててみても、なかなかすくえないほどにつるつるにみえます。冷蔵庫のおくのほうに、ずっとまえからしまってあったデザートみたいに、きっとかちかちになっているのですよ。
それはそれで、おいしそうだよねと、ユウちゃんはおもいました。そう、たべることにかけては、ユウちゃんはいろいろとくわしいのです。
 このまえ、お父さんのしりあいだという人に、すきなたべもの、なあに? ときかれて、
「だいこん」
とこたえたら、笑われました。いえ、ユウちゃんはいっしょうけんめいかんがえたのです。
すきなたべもの? なんだろう、なんだろう。いっしょうけんめいかんがえたら、あれもすき、これもすき。いろいろ思いうかべちゃって、どうすればいいかわからなくなってしまったんです。だって、どれかひとつなんて、とうていえらべない! 
それできんちょうして、思いついたたべものを、とにかく口にしてしまったユウちゃんでした。
 そんなことをいっているうちに、ユウちゃんの両の足が、ふつふつ泡だつ月のじめんに、いよいよ到着です。
 きゅうなことで、足がついたとたん、すこしよろけそうになりました。でも、ねばねばした地面が足のうらにうまくくっついてくれたので、たおれずにすみました。
 ああ、ユウちゃんてば、そういえばクツもはかずに、はだしでここまできてしまいました。月の表面に、足あとがのこったままにならなければいいのですが。
 おり立ったユウちゃん、すっと背すじをのばして、まえとうしろ、右と左を見わたしてみます。どちらの方向も、ずっとさきのほうまで黄色にきらきらかがやいています。まるで秋草に一面おおわれた草原におりたかのよう。
 足もとをのぞいて、泡の浮いた月の表面をかんさつしてみれば、こんがりといいぐあいの色。いかにもたべごろってかんじです。香ばしいにおいが、あたりに立ちこめています。
これはもう、たまりません。ユウちゃんはリュックをあけて、お砂糖をとりだします。台所にあった「調理よう」のものをそのままもってきたので、ずいぶんおおきいですね。計量スプーンもついていますが、ええい、ユウちゃんは手づかみで、じぶんの目のまえにお砂糖をふりまきました。


そうしてスプーンを月のひょうめんに突きさします。表面はすこしねばり、そして、だんりょくがありましたけど、なかのほうはふわりふわりとして、スプーンがぐいぐい入っていきます。
 せいいっぱいおおきな口をあけて、ぱくりとお月さまを味わってみます。うん。いけます。いけますよ、これは。しっとり、ふわふわ。のみこむまえに、舌の上でふっと溶けて消えてしまうようなやわらかさです。あたたかさもちょうどよくて、ねこ舌のアーちゃんにもむりなくたべられます。
 もってきたスプーンはちいさいので、うーん、これじゃちょっとおいつかないなあ。ユウちゃんは、用意してきたナイフとフォークをとりだします。
 ちゃんともう使えるんですよ。右手がナイフ。左手がフォーク。あってますよね。ほら、たべることにかけてはユウちゃん、いろいろしっていますから。
 ナイフをじょうずにつかって、月のひょうめんに、三角形の切れめを入れます。それをフォークでくるくると巻いて、またおおきな口をあけてぱくり。うん、まんぞくです。どんどんたべられます。
 いま食べたぶぶんのとなりを、またナイフで切りとって、ぱくり。すこしずつ移動しながら、ユウちゃんは、ぱくり、ぱくり。しっとりで、ふわふわで、のみこもうとするまえにふっと溶けていく。口のなかで、なんどもおなじ幸せが、くりかえされます。
 ナイフで切りとったあとの月面をよく見てみると、おくのほうは黄色がかなりうすくなって、あまりふわふわでもないようですが、まだまだ口に入れたらおいしそうです。ユウちゃん、こんどはスプーンに持ちかえて、さらに奥のほうを食べすすんでみます。
 すると、あたたかみはもうなくて、ひんやりとしたたべごこちで、あまさがぐっと増しています。スプーンを立てると、かしゅっ。たかい音がします。おもいきりよくスプーンをまっすぐ突きさして、ぐいぐいと削りとって、大きな口をあけてぱくり。かむたびに、しゃりしゃりっと、おおきな音がひびきます。
 さあ、これで、ずいぶんとたべすすみましたよ。ユウちゃんのたべたあとは、おおきな穴になってへこんでいます。そこには光があたらなくなったので、表面がうっすらと暗くなっています。
見れば、ずっと先のほうにも、おおきくへこんでいる場所がありますね。図鑑でみたことのある、これがクレーターというものでしょうか。うーん、でも、これはお父さんがお月さまをたべたときの跡なのかもしれないぞと、ユウちゃんは思いました。
さすがはお父さん、ユウちゃんがいまたべた跡よりも、ずっとずっとひろい暗がりを、つくりあげていますよ。ずいぶんたくさんたべたのでしょうね。
さすがのユウちゃんも、これにはとてもかないません。もうこれ以上は、ちょっとたべられないようです。スプーンとナイフとフォークを、かるくハンカチでふいてリュックへしまったら、あたりを散歩でもしてくることにしましょう。お父さんやユウちゃんがたべてしまったあたりとは反対のほうへ、ぶらぶらと向かってみることにしました。


 お月さまについてからは、なんだか体がとてもかるくて、楽でたまりません。歩きだそうと、いっぽ、足をふみだしてみると、おもいのほかおおきくぴょうん、からだが浮きあがります。右足をついて、ぴょうん。左足で着地して、ぴょうん。うん、まるでウサギになった気分です。
 しばらくウサギになって進んでいくと、すこし地面がでこぼこしたあたりに出ました。かげになったところに、水がたまって、ぽこぽこと泡が立っています。鼻につんとくるこのにおい、どこかでかいだおぼえがあります。
 そう、これはお父さんがだい好きなお酒みたいです。うーん、おいしそう。お父さんに持って帰ってあげましょうか。ユウちゃんはリュックから水筒を取りだして、なかに入ったお茶を飲みほしました。そうしてそこに、お酒みたいな水をつめこみました。お父さん、よろこんでくれるでしょうか。
 そうだ、お母さんにも、おみやげをよういしたほうがいいですね。ユウちゃんはハンカチをひろげて、足もとから月の表面を、両手いっぱいにすくってつつみました。さあ、お母さんも、これをおいしくたべてくれますかね。
 じぶんのぶんのおみやげもいるかなあ。そう考えたユウちゃんですが、いまはあまりにも、おなかがいっぱいで、これいじょうじぶんがなにかたべることを、うまく想像できません。
まあいいや、まんぞく、まんぞく。ユウちゃんは、うんせ、と伸びをしました。すると、そのひょうしに、ユウちゃんのからだが月の表面からふわ、とはなれます。どうやら、たくさんたべておもくなったユウちゃんは、ふわふわと地球のほうにひっぱられているようです。
しっとり、ふんわりのお月さまが、おなかのなかにたっぷり詰まったユウちゃんは、ふわふわ、ふわふわ、それでもたしかに地球のほうへ、落ちていきます。
おみやげは、ちゃんとわすれずもっているでしょうか。リュックのなかみも、ちゃんとつめられたでしょうか。なにしろ急なことでしたから、落ちながら、あわててあれこれ確認するユウちゃんです。
さっきまでそこに立っていたお月さまの全体が、いまは、はっきりとユウちゃんの目に見えてきましたよ。ふだん見ているのよりは、まだまだおおきいのですが、ユウちゃんが地球のほうへ落ちれば落ちるほど、だんだん、だんだんちいさくなっていきます。
そうして形も、ユウちゃんがきたときよりも、ずっとほそくなってしまいました。きょうのお月さまは、りっぱな三日月になっています。ああ、そうです、ユウちゃんのたべたところが、すっかりかげになっているからです。こうしてみると、ひとりでずいぶんたくさん食べたものです。
そうか、お月さまが、たまにやせていくのは、きっとだれかがこっそり、月の表面をぱくぱく、ぱくぱくとたべてしまっているからなんですね。でも、だいじょうぶ。そうなっても、お月さまはまた、ふつふつと表面をあっためて、ぷくぷくと泡をたてながら、タマゴのようなきいろい肌を、じぶんでつくりだしますから。
すこし時間はかかっても、いつかまた、まんまるお月さまになって、わたしたちの前にすがたをあらわしてくれます。
ユウちゃんの目に、おうちのベランダがはっきりと見えてきました。おかあさんはもう、おふろのそうじを終えているでしょうか。お月さまのうえで見てきたこと、いろいろおしえてあげましょうね。
こんどは、みんなで行きたいなあ。お父さんも、お母さんも、いっしょにね。みんなでいっせいにたべたら、お月さま、まっくらになっちゃうかもしれませんけどね。
そうだ。お父さんも、お母さんも、おともだちも、おともだちのお父さんやお母さんも、みんながいつでも月まで行けたらいいのにね。じゃあ、どんなときだってのぼっていけるように、おおきな、おおきな塔をつくっておけばいいよ。
さっきつくった積み木の塔の、もっと、ずっとおおきなものをね。おおきくなったら、あたし、それをつくろうっと。おおきな塔をつくるひとに、なるんだ! そう心にきめた、ユウちゃんでした。
ベランダにつづく窓が開いて、ユウちゃんのお母さんのすがたが見えました。こんなところに、積み木の塔が立っていることに、びっくりしているみたい。塔を目で追っていって、てっぺんにまで目をやったとき、上からふわふわ落ちてくるユウちゃんの姿をみつけました。
そのとたん、お母さんのお顔が、ぱっと明るくなりました。両手をおおきくひろげて、ユウちゃんをむかえてくれます。ユウちゃんも、おもいきりにっこりしながら、両手をこれでもか、というくらいにひろげます。そうしてゆっくり、ゆっくりと、ユウちゃんは、お母さんのもとへ落ちてゆくのでした。


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