チョコレートの世界をアップデートする! ショコラティエ石井秀代の挑戦とは?
みんな大好きなチョコレートの世界に、新風を吹き込もうと名乗りを挙げた女性がひとり。
世界中の食に精通する石井秀代さん。
飽和状態に思える世界へ、なぜいま、どんな想いを抱いて、切り込もうとしているのか。(初出・cakes 2021年)
「同じものは、いらない。
みんなが好きなものを、ちょっと前に進めて、ありそうでなかったものをつくるのが楽しいんですよ」
自身のものづくりへの基本姿勢を、そう説明するのは石井秀代さん。
新進気鋭のショコラティエとして、新たなチョコレートブランド「YES. SHE KNOWS」を2021年秋に立ち上げた。
バレンタインシーズンはもとよりいつの季節も、チョコレートは巷に溢れかえっている。コンビニの棚にあるものから著名海外ブランドのもの、星持ちのパティシエにショコラティエの手がけるもの、味もかたちも価格もありとあらゆるチョコが世にはある。
「新しいチョコレート」なんて、いまどきできるものだろうか?
「無理に新奇なものをつくろうというのではなく、むしろそういうことに捉われず、ひと粒たった10グラム程度の小さい世界で、自由に遊んでみたらどうなるかなと考えてみたまでです」
チョコとはこういうものだとか、商品化するなら誰にも好まれるわかりやすさがないと、といった思い込みを外し発想してみたところ、石井さんの内部から湧いてきたのは「お酒とペアリングするチョコレート」だった。
たしかに、おつまみ代わりとしてお酒の席にチョコが並ぶことはある。ただしそれは、ちょっとした箸休めという位置付け。もっとこうお酒と対等に、お酒と引き立て合うようにチョコレートを楽しめないか。ひと皿ずつの料理とワインが組み合わせと相性を吟味され、お互いの味わいの可能性を最高度に引き出し合おうとする「マリアージュ」みたいなことができないか。
そう考えた石井さんは、大人がお酒とのペアリングを楽しめるチョコレートの開発に邁進した。
長期間の研究の結果出来上がった「YES. SHE KNOWS」の「Pairing」シリーズは基本的に、ひとつずつまったく味わいの違う6ピースで1パッケージを構成。それぞれがどんなものかといえば……。
海水塩を含んだ「Gecca」、味噌味がする新感覚の「Mature」、濃厚な花の香りに包まれる「Venus」、唐辛子風味がしっかりとする「Flame」、沖縄の豆腐ようの味だという「Cave」、目の覚めるような山椒風味の「Emerald」。なんとも意外かつ斬新な味わいばかり。
「酸味、苦味、甘味、辛味、塩味のいわゆる五味に、日本伝来の旨味を加えた6種類を網羅しようと考えました。世界中のどんなお酒にも、これら6種のどれかがぴったりとハマるはずです。お酒と合わせて楽しんでいただきたいので、チョコレート自体にはお酒を入れてありません」
とのこと。どれもただ甘いだけのチョコではないのは明らか。いやむしろ、どれも甘さはかなり抑え目にしてある。バリエーション豊かな味わいは、長年世界中の食の研究・探究に携わってきた石井さんの知見の賜物か。たしかにひと粒ずつはごく小さいささやかなものだけど、練りに練ったひと皿の料理と同じ存在感と食べ応えがある。これはもう「チョコレート料理」と称したいほど。
「日本の味」をチョコに溶け込ませた
「お酒とペアリングするチョコレート」という発想のきっかけは、以前フランスに滞在していたときに得た。
「セーヌ川のほとりの家に友人たちが集まってよくホームパーティーをしていました。ワイン、チーズ、ハムなんかを持ち寄ってワイワイやるんですが、手みやげにチョコレートを持ってくる人も多い。大人のお菓子として、お酒といっしょに食べることが定着しているんですね。
しかもみんないい大人なのに、チョコに関して滔々と熱く語るんですよ。自分が好きなのはこういうチョコで、そもそもチョコレートという食べものはこんなにすばらしいということを。特に男性が熱心でした」
チョコレートがフランスの食文化のなかで、確固とした位置を占めていることに感銘を受けた。
思えば日本でもチョコレートは大人気だ。石井さんは料理家として幅広く活動し、食関連企業のコンサルティングなども手がけるが、そうした仕事の流れで「チョコレートの味を取り入れられないか」とのオーダーもよく耳にした。
みんなが大好きなチョコレートで、何か新機軸を打ち立てられないかという思いが高じ、大人向けのチョコレートに挑戦する気持ちが固まった。
そうして開発された「YES. SHE KNOWS」の「Pairing」シリーズはさまざまな土地の、とりわけ日本各地の特産の味を使っているところが目を惹く。
「6ピースのうち5種類に、日本の食材を使っています。人に出逢う旅が好きで、私がこれまでにいろんな土地で出逢ってきた味を取り入れました。特色ある味は自分の記憶のなかにストックしてあって、いつか料理に用いようと整理して覚えている。それらをチョコに入れたらどうなるかなと、ワクワクしながらあれこれ試していきました。
こうすると日本酒に合うようになるかな、こっちは焼酎にいいんじゃないか、ウイスキーならどうする?などと探っていって、まずは直感で50種類くらいつくりました。そこから6種類に厳選していったのですが、最初に『これだ!』と思えたのは豆腐ようを使った『Cave』。このひと粒に旨味をうまく閉じ込められたと思えたので、あとは五味を揃えていこうと考えました。6種類に絞ったあとは、微妙な調整を何日もかけて徹夜続きで一気におこない、いちばん研ぎ澄まされた味にたどり着いています」
6種類それぞれのチョコレートがどんなもので、どのような経緯でできたのかを教えてもらおう。
「Gecca」は、八重山諸島で新月の夜に採取した海水から抽出した塩で、味付けがなされている。月の満ち欠けによって、海水の塩味や甘味は微細に変化するのだという。新月の夜の海水は滋味が強くなるそうで、Geccaに含ませたのも結晶が大きく旨みが強い塩である。
「チョコは通常よく練り混ぜて空気を抜き生地を均一化させますが、このチョコの場合は口当たりがいろいろ変わるほうがおもしろいと思い、ざっくり混ぜるだけにしてあります。塩味の濃淡が変化していくのを楽しんでいただけたら。
月夜の砂浜を散歩しながら、いろんな景物に出逢っていくような気分をイメージしてあります。年代もののウイスキーなど、個性の強いお酒ともよく合うと思いますよ」
「Mature」は、味噌の芳醇な味わいをチョコにしてある。中は二層になっており、一層目は百年前の製法で作られている徳島県産の常盤味噌に、日本酒を混ぜて煮立てて焦がしを風味にしている。
二層目は名古屋の赤だし味噌と、新潟・百川味噌のたまりをプラリネと合わせている。
「二層目にはナッツも入っています。食感の豊富さや味噌のまろやかさと深みを感じていただけたら。このチョコには日本酒、純米吟醸のようなスッキリしたものがよく合いますよ」
「Venus」は口に入れる前から、気高い風味が感じられるほど匂い立つチョコレート。ダマスクスローズとフランボワーズ味わいを二層に重ねてある。
「イタリアに滞在していた時期があって、そのころはフィレンツェのウフィツィ美術館でボッティチェリの絵画《ヴィーナスの誕生》を観るのが大好きでした。画面に永遠の初々しさが湛えられているような気がして。あの清心さを表したくて、すこし酸味のある味に仕立ててみました。赤ワインやデザートワインで楽しむのがおすすめです」
「Flame」は、口に含むとまずはチョコと胡麻の層が広がり、柔らかな味わいとなる。けれどしばらくすると、口中に一筋の線が走る。唐辛子の快い辛さがどこからともなくやってくるのだ。あとから辛さが襲ってくる日本の料理の唐辛子の使い方にヒントを得た。
「韓国やイタリアの料理の辛さは、最初から全開じゃないですか。日本の辛い料理はまず食材の味わいがあって、最後にピリッとくる。あの感覚がチョコでもできないものかと、内部を二層仕立てにしました。下の段に練り胡麻を糖化させ蔵で寝かせたものを入れました。先にその味が感じられ、徐々にマスキングされていた上層の唐辛子の辛さがキュッとくる。時間の経過を感じていただけたら。ジンなど爽快感あるお酒がよく合います」
「Cave」は、豆腐ようのまろやかな発酵味がチョコと見事に融合して、口中にあるあいだは時間が止まってしまったかのような陶酔感が味わえる。
「沖縄本島東部で出逢った豆腐ようを使っています。泡盛と紅麹に豆腐を漬け込み、鍾乳洞の中で熟成させた豆腐ようで、初めて食べたときに悠久の時の流れを強く感じたので、ぜひチョコと合わせたいと思いました。泡盛と合わせれば、もちろんぴったりです」
「Emerald」には和歌山県産の葡萄山椒から抽出したエッセンスが入り、切れ味鋭くどこまでもさわやかな味わいになっている。
「中に0.03グラムだけ、丹波篠山の実山椒を醤油漬けにしたものを入れてあります。それが味のアクセントになっているかと。こちらはシャンパンなどよく合いますよ」
これら6種のほかに、「YES. SHE KNOWS」では、ペカンナッツもラインアップに加えている。カカオをコーティングしたものと、ほうじ茶のコーティングの2種類がある。
どちらも歯応え、舌触り、味わいが複雑でおもしろい。質感すなわちテクスチャを何層にも重ねている効果だという。そうした多様さこそ、まさにこだわりどころだったのだという。
通常はペカンナッツをローストしてアメをかけ、そのあとにカカオの粉をかけて仕上げるが、石井さんのやり方は違う。
まず砂糖を糖化させ、白く透明な状態になったときを見計らってナッツを入れ、その糖液をたっぷり吸わせる。とれたての実のようにふっくらとなったナッツをさらにかき混ぜていくと、糖が再度結晶化して白くざらめのようになる。これをまとわせたら、さらに練りを加えていき、ナッツの窪みの部分に飴状のものを入り込ませる。その後さらに加熱して、軽く焦げ目をつけることで苦味をプラスする。これだけの手間をかけて、ナッツにテクスチャを何層にもまとわせているのだった。
テクスチャを重視するのは、6種のチョコレートのほうでも同じだ。
一般的にチョコレートは、ガナッシュを絞り終えたら常温で10時間ほど置いて、チョコの結晶化を促す。そのタイミングでコーティングを閉じると、おいしいチョコになると言われる。
この「Pairing」シリーズでは、お酒と合わせるという趣旨に照らすと、ひと粒を半分にカットして、それを何口かに分けて食べるなど小口に味わってもらうのがいい。となると、中のガナッシュがどろりと出てきたりするのは都合が悪い。
カットしてもかたちが保たれるようなテクスチャが必要というわけだ。そこで石井さんは試行錯誤の末、冷蔵で48時間ほどの時間をかけて結晶化させるのがいいとの結論に達した。そうすることでカットしやすく、かたちも崩れず、コーティングを薄くて中の味わいをダイレクトに楽しめる仕上がりが実現した。
さまざまな創意工夫と手間暇をかけて実現したことを知るにつけ、「Pairing」シリーズはまさに「チョコレート料理」と呼ぶのがしっくりくるものとなっている。
「そこにあるもの」を使って、おいしいものをこしらえればいい
何にも捉われない自在さが、石井秀代さんが手がける食の特長だ。
なぜそんな自由にふるまえるのか。料理の世界はレシピという名の設計図がしかとあったり、師弟関係が厳しかったりしそうなものだけれど。 「イタリアで出逢った師匠と呼べる存在の女性から教わったんです。自分の感覚に従えばいい、料理をするときは『まあまあの按配』が何よりよ、と」 そう、石井さんはイタリアに滞在していた時期があり、その際に食文化を教わっていた女性から学んだことが自由な発想と、ほどよく臨機応変であることだった。
思えば石井さんのこれまでの軌跡には、いつだって「食」と「旅」が身近にあった。
長崎で生まれ育った石井さんに、最初に強い影響を与えたのは母親の姿だった。海外から来た居住者の多い土地柄もあり、石井さんの母は「外国人に日本の家庭料理を伝える」料理教室を主宰していた。
英語で日本料理のレシピを教える様子を垣間見ながら、料理とは万人共通の喜びだと感じ、食文化への関心が湧いた。
14歳で米国、18歳でイタリアへ渡り、郷土の食文化を学ぶ。イタリアではのちに「AISOイタリアオリーブオイル協会オリーブオイルソムリエ」資格を取得。美容と健康にいいオリーブオイルの魅力を、イタリア料理だけでなく和洋中韓国料理にも取り入れ広める活動を続けてきた。
2018年にはショコラティエ資格取得。近年はほかにもオーストラリア・ラムの魅力を発信したり、シンガポール料理バクテーの店舗立ち上げサポートなどもしている。
やることは幅広いが、世界の食への尽きぬ関心はいつも胸にある。そしてイタリアの師の教えもまた、いつだって忘れない。
「彼女は私の料理の先生ですが、特別なレシピを教わったということはないんです。目の前にあるものを、そのよさを最大限に活かしながら使うことの大切さだけを、繰り返し説いてくれました。
彼女の料理のしかたには、決まりがありませんでした。今日は空気が乾燥しているから入れる水分を多めにしましょうなどと、その日そのときの条件に従うんですね。食材だって、今日は鶏が卵を産んだから卵を使った料理を考えましょうだとか、庭でいいハーブがとれたならそれを使いましょうと自由自在。何もない日には、塩と水だけ使っておいしいものができるよう工夫しなさいと言います。
そこにあるものから発想して、できるかぎりの工夫を凝らしておいしくしたり楽しくしたりする。そういう姿勢を学びました」
オリーブオイルの楽しみ方を広める活動も長らくしてきたが、こちらもイタリアで得た気づきから始まったことだった。
イタリア滞在中、油を摂り過ぎては太ると思い込んで、オリーブオイルを控えていたら、イタリア人から「何してるの?」と言われた。
太る? そんなバカな。オリーブオイルは調味料でありフルーツだ。他の油は種からとるけれど、オリーブオイルは実から絞ったもの。ジュースと同じなんだから気にする必要はないとのこと。 しかも聞けばオリーブオイルは、地域性が豊かな食材でもあるという。
「日本の味噌や醤油に似たものなんですよね。そう知ると、オリーブオイルの可能性をもっと知りたくなってきて、豆腐にかけたり豚汁に使ったりといろんな提案をすることになっていきました。
最近は新しいタイプのカラスミを広めたいと思って、あれこれ模索中です。みなさんに試してもらえる日も近いはずですのでお楽しみに。
音楽や美術と同じように食も、言語を超えてどんな人ともつながったり共感できたりするもの。色を通して人と何かを分かち合い、喜び合いたいんですよ私は。ただそれだけを思っているから、扱う食の種類がどんどん変わって、周りからは不思議がられてしまうんですけどね」
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