みさきの話 『ドライブ・マイ・カー』より
空は濁った灰色をしているのがふつうだと、ずっと思っていました。
私が生まれた北海道✴︎✴︎郡十二滝村は、一年の半分くらい雪が降っている土地で、重くて分厚い雲がいつだって山際まで垂れ下がっていたんです。
そりゃたまには厚い膜が破れて晴れ間が覗くこともあったかもしれない。でも小さいころの私に、ぼうっと空を見上げて眩しい青色にうっとりするヒマなどありませんでした。
私にはほかに、つねに注意深く見ておかないといけないものがありましたから。母親の顔色です。
ものごころついて以来ほとんどの時間を私は、「小屋」と呼ぶほうがいい木造の狭い家で過ごしました。そこで見かけたことがあるのは、母の姿だけ。父親という生きものの存在なんて、小学校に上がって同級生から「みさきちゃん家って、お父さんおらんのー?」と言われるまで、本当に知りませんでした。
私はいつも家のなかにいたけれど、母は日のある時間にしか家にいませんし、たいていは布団にくるまっているか、上半身を起き上がらせていたにしてもちゃぶ台に肘をつき、ぐったりしてほとんど動きません。台所に立つようなことは、まずありませんでした。
じゃあ食事はどうしていたのかといえば、前の晩に母が「お店」から持って帰ってきたタッパーに入っているものを、ふたりで分けていました。中身は決まっていなくて脈絡がなく、おでんのときもあれば、ポテトサラダだけ大量に入っていたり、ときには柿の種がちょっぴりだけのことも。
何が入っていようと、いくら量が少なかろうと、文句を言うなんて考えられません。家での母はいつも気怠そうで、「暗くなる前にはまたお店へ出かけなくちゃいけないんだ、短い充電時間を邪魔してくれるな」ときつく言われていました。私が手間をかけさせたり、ちょっとでもうるさくしようものなら、ひどく大きな声で怒鳴られます。手の届く範囲にいれば、もちろん引っ叩かれます。
家では母にできるだけ楽にしてもらい、機嫌を損ねないようにするのがとにかく最優先。そのためにはいつも母の表情をよく見て、してはいけないことを察し、ときに気配を消したりしてうまく立ち回らないといけません。
顔色を窺っているそぶりが見つかるとそれはそれで怒られてしまうので、何気ないふりをしつつよく観察しなければいけない。それで知らず、いつも伏し目がちだけど必要な情報はひと目ですばやく察知する能力が、身についてしまいました。
七歳になると小学校に通わせてはもらえましたが、面倒を起こさぬよう、また家のことをすべて私がやるとの約束もあったので、授業が終われば毎日飛んで帰っていました。
中学生になるころには、あらゆる家事は当然ながら私がするようになっていました。母の生活ぶりは変わりませんでしたが、彼女の顔と動きに滲む疲労感は日に日に増していた気がします。
母娘ふたりの生活は、すこしずつ摩耗し劣化しながらも、ある種の安定を見せていたように思えます。そうしているうち、私の義務教育が終わる時期を迎えます。自分では、この先どうするかなんて考えもしなかった。母は私に、自分と同じような稼ぎ方をさせようとしているみたいでした。とくに深い考えがあってのことというより、母はそれしか食べていく道を知らなかっただけでしょう。
でもその計画も、卒業を控えた春先のある朝に、一瞬にして消えてなくなりました。いつになく多かった積雪と急な気温上昇が併さり、裏山で雪崩が起きたのです。家は、瞬時に押し潰されてしまいました。登校のため今まさに玄関を開けたところで、私の視界は真っ暗になり、記憶もいったん途切れます。次に気づいたときに私は、光と空気を求めて全身を必死にばたつかせているありさまでした。
雪中から運良く這い出ることのできた私は、その場にへたり込んで、雪に埋もれて屋根がちらりと見えるばかりの家を、ただ茫然と眺めるばかり。
そう、私はただ雪面を、いつまでも眺めているだけでした。家のなかには、熟睡していたであろう母がいて、まちがいなくそのまま雪中深くに埋まったままです。なのに私は助けを呼ぶでもなく、雪をかき除けようとするでもなく、きらきら光る雪面をじっと見やっていた。
どれくらい時間が経ったでしょう。私はおもむろに冷え切った身体に鞭打って立ち上がり、すこし離れた場所に停めてある車のもとへ向かい、ひとけもないので平気で挿しっぱなしにしてあるキーを回してエンジンをかけ、そのまま走り去りました。
どこへ向かったか。南へ。ひたすら南のほうへと、私は車を駆り続けました。
正直、すごい解放感でした。それはそうです、解放された感覚なんて、生まれて初めて味わったのですから。
同時に、後ろ髪を物凄い強さで引っ張られる感覚も残ったまま。当たり前です、私は母をあの家に置いてきたのだから。いえ置いてきたなんて生易しいものじゃない、私は母を見殺しにして逃げ出してきたのです。
そのせいもあってか、とにかく行けるところまで行こう、これまでの自分から最も離れた場所まで移動するんだという固い決意を抱いていました。
免許、ですか? そのときはまだ持っていませんでした。そもそも普通免許が取得できる年齢に達していませんし。
でも運転はできました。できるどころか、それが唯一、私の得意なことでした。中学に上がるとすぐ、母からみっちりと運転を教わったのです。私が母を「お店」へ送り迎えするためです。それは私の重要な仕事となっていました。
年を重ねるごと頭痛や胸焼けが常になっていた母は、車が揺れたり不安定な走りになることをひどく嫌いました。嫌がるだけで済むわけもなく、ギアチェンジやブレーキを滑らかにできず、すこしでも車を振動させてしまえば、容赦なく私に罵声を浴びせましたし、頻繁に手も出ました。そんな緊張感のなかで毎日、凍った山路を運転してきたのだから、うまくなるのも当然です。
行くあてがあったわけじゃなく、ひたすら南へ車を走らせていき、広島まで来たところでエンジンが動かなくなりました。ここが定められた土地なんだと信じ込むことにして、住み込みのいろんな仕事をこなしました。18歳になって免許をとると、ゴミ収集車の運転者や運転代行業などにもつけるようになりました。
思えば村を出た日から、私はずっと運転ばかりして、移動し続けています。一度たりとも自分の目的地を目指したことはなく、何かの用途を満たしたり誰かの目的地へと急ぐためばかりですが。
自分の行きたい場所なんてないんです。走り続けているのは、ただ単に生きるためです。
どれだけ有名な行事なのかは知りませんが、広島で毎年、芸術祭が開かれています。演劇のプロを招いて滞在制作をしてもらい、その成果を上演して発表してもらう。瀬戸内を本拠地とする大企業の設立した財団が運営しており、滞在する芸術監督には専属の車とドライバーをつけることになっている。私の腕が立つことは界隈で知られていましたから、時期になると毎年、このドライバーの仕事を回してもらえるようになりました。これが私の収入の基盤になっていて、たいへん助かっている。
今年も首尾よくドライバーの仕事を回してもらえました。乗せるのは演出家の方で、私は観ないから知らないけれど役者としてテレビドラマや映画にも出ているので、家福という名を出せば人は「ああ、あの」と言うくらいには有名なよう。
でも、乗車しているときの彼は、そんな華やかな世界にいる人とはとうてい思えない佇まいでした。2ヶ月ほど毎日、滞在先と稽古場の往復のため車を走らせましたが、いつも何かに耐え抜こうとして、ぐっと唇を結んでいる表情を崩すことはなかった。そうして、舞台の台詞が入ったカセットテープを流し続けるよう頼まれました。それに延々と耳を傾けている。表情ひとつ変えずに。
この人のこれまでに何があったかはまったく知らない。けれど、私と同じ時間のやり過ごし方をしている人だなと感じました。何か、似たような経験をしている人なんじゃないかという気はしました。
滞在制作の成果を示す公演が間近に迫ったある日、
「もうじゅうぶんだな、煉獄につなぎとめられている毎日は」
と彼が急につぶやきました。そんな台詞がテープのなかにあっただろうかと考えましたが、これは彼のなかから出てきた言葉のようでした。
きみは僕の専属ドライバーということでよかったんだよね? 優しく問いかけられ、もしよかったら、きみの好きなところまで走ってくれないか、どれだけ時間がかかってもかまわないからと言われました。
私が本当に欲する行き先を言わないと承知してくれないような、決然としたまなざしがバックミラー越しに映っていました。
かなり遠いですよ。私が問うと、彼はかまわないと即答しました。
それで私たちふたりは、遠路はるばる北海道の十二滝村を目指すことになりました。
もう一度見てみたいと思ったんです。自分が振り払ってきたあの土地を。
道中、初めて人に、自分が過去に村でしたことを打ち明けました。私は母を殺したんですと。
うん。わかるよ。僕も同じだ。彼は意外なことを口にしました。いえ、彼がそう答えることはなんとなくわかっていました。きっと彼も、身近な大事な人を自分のなかから、そしてこの世界から消し去ったことがあるような気がしていました。
昼夜を問わず走り続け、長い年月を遡るようにして十二滝村に到着しました。
車を降りて雪道の坂を上ると、向こうに半ば雪に埋もれた瓦礫のかたまりが見えました。あれです。私の家です。ここに、母が、埋まっていたんです。
時が動いた。そんな実感があって、目眩がした。とっさに家福さんの腕に縋りついて自分の身体を支えました。こんなふうに人の身体にふれるのは初めてのことでした。家福さんが纏っている上質な上着の感触。味わったことのないものだった。そしてその奥に、脈打つ人の身体があることをはっきり感じました。手に触れるすべてがこんなに温かいことって、あるんだ。知らないことばかりがいちどきに自分のなかに流れ込んできて、混乱しました。自分の内側で何かが動き出した感触が、そのときの私にはたしかにあったのです。
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