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現在史1990〜 1991年3月のこと

 一九九一年三月のこと。
 自分の内側が、空っぽのがらんどうになった気分だった。
 寝て起きて、とくにすることも思いつかず、家のなかでぼおっとしている日が続いた。詰め込んだ受験知識が毎秒ごと、脳内からどんどん抜け落ちていくのがわかった。
 
 月初に合格通知がきて、東京の大学へ進学できることになった。
 速達で届いた通知を玄関先で開けた瞬間も、飛び上がるようなよろこびというより、これでなんとかなる、間に合ったかなと、ただただほっとした。

 自分を受験勉強に駆り立てていたのは、合格という事実そのものじゃなくて、「ここを出たい、出ていかなくちゃ」という焦りだったんだと気づいた。出ていくための切符を得られて、ほっとひと安心したんだろう。

 なぜそんなにいまいる場所を出ていきたかったのか。大学進学のタイミングで出ていこうとの思いは、小学校の終わりか中学校のはじまりあたりのころから、頭のなかに浮かんでいた。
 何がいやって、「井の中の蛙」状態になるのだけはいやだった。
 
 自分がいまいる愛知県の片田舎は、居心地はいいけれど、ここが世界の中心じゃないことははっきりしていた。
 本や新聞、テレビで知るかぎり、世界はどうやらもっと広い。皆に注目される「あっち側」というのがあるらしい。
 だったら、いちどは「あっち側」へ行きたい。のこのこ出ていった結果そこで干からびてしまったとしても、行こうともせず人生を終えるよりずっとマシだ。「あっち側」に行ってみてこそ、自分が自分として生まれた意味はあるんだ、とすら思っていた。

 いざ「あっち側」へ行くとなると、ものすごく背伸びしなくちゃいけないんだろうけど、そう、背伸びとか、無理とか無茶とか、そういうことをこそしたかった。
 そのまま手の届く範囲でやっていれば、そりゃあなんとかなるかもしれない。小さいころから、勉強はやればやっただけの成果が出たし、身体を動かすほうも真剣に取り組めばそれなりの結果は出た。小さい生活圏のなかでなら、懸命に取り組めば「そこそこ」できる見込みは立った。
 ただ、それがいちばん怖いんだ。いつか自分の歩いてきた道をふりかえって、ずっとそこそこだったなと気づいたら、どんな気持ちになるだろう。きっと納得なんてできない。

 受験勉強をしているあいだ、洗面所の鏡で自分の顔を見るたび、
「なめんな、ふざけんな」
 と啖呵を切っていたのは、がんばればまあ「そこそこ」にはなれるだろうからそれでいいんじゃない? との内なる声につい流されそうになる自分を、なんとか鼓舞しようとしていたんだ、きっと。

「あっち側」へ行く切符を、どうやら得られたんじゃないかと安堵して、春休みにとくに何もせず空っぽになっている自分がいた。切符を入手しただけでもう「あっち側」へ行けた気分に浸っている自分の甘さと能天気に、そのときはまったく気づかないまま、東京へ向かうまでの二週間ほどを無為に過ごした。

 本棚を眺めて、授業の課題で使ったのだったか、安部公房の文庫本をとりだして開いたりした。
『砂の女』は怖ろしくてエロティックだった。
 砂のなかの家にとらわれている、女と男。あとから来ることとなる男は、虫を探して砂丘へと誘い出され、見つけた虫にカメラを向けるも、足元をとられてシャッターを押せない。
 そのまま砂に巻き込まれ、家と女に絡めとられ、抜け出せなくなる。蟻地獄にはまったみたいに。
 
 そのうちに、男も読者も達観してくる。人生なんてどこにいても同じ。納得ずくになんていかない。砂の底から抜け出せないとて、そこで暮らせているのならいいんじゃないか。気を紛らすものが多いほうがいい気はするので、砂の底の生活はその点単調でかわいそうだが、その程度のこと。
 結局、人は定められた「場」から逃れられないのだ、と納得させられそうになる。
 生まれついた田舎の新興住宅地から逃れようとして、成功したつもりの自分だけど、本当にもといた場所から離れることなんてできるんだろうか。自分の現状と照らし合わせていると、頭がくらくらしてきた。

 安部公房の『箱男』の文庫もあって、こちらも荒唐無稽で読んでいてくらくらした。(→https://www.yamauchihiroyasu.jp/n/nee309e77592f) これがシュルレアリスムの世界かなと感じ、現実を撹乱するのに写真という装置がずいぶんうまく作用しているなということを思った。


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