「みかんのヤマ」 6赤シャツの教頭 20211225
細いわりによく通る若井先生の声が、教室内を快く吹き抜ける。
ということで、明治の文学のうち、ほらこうして皆の教科書に載っている作品といえば、夏目漱石『坊っちゃん』です。
知ってるでしょう? もちろん全国的に有名だけど、愛媛じゃなおさら。舞台になった松山ではいまだ坊っちゃん列車が走っていたり、坊っちゃん饅頭まで売ってますものね。おもいきり、あやかってます。
ただ、これから実際に作品を読んでいくと、ん? と思うかもしれない。だって漱石はけっこう松山の悪口を書いているんです。やれちっぽけな町だ、そら田舎者だと。松山の人はあやかるばかりじゃなく、もすこし怒っていいくらいよ。
ちょっとせっかくですからね、愛媛県人の視点も織り交ぜて、この『坊っちゃん』を読解していきましょう。
うまいなあ、このひと。言葉は聴き取りやすいし、人の気を惹くしゃべり方をする。クラス全員の気持ちがもう、新しい単元の内容にちゃんと向いた。
さっき窓外に奇妙な光景を見て混乱していたわたしですら、とりあえず授業に集中しとこうかという気にさせられている。
考えてみればみかん山で何か起きたとて、ここからはっきり見えるわけない。
山のふもとの中学校から、陽当たりのいい中腹にあるうちの畠までは、かなりの距離だ。見慣れたわたしは区画をはっきり認識できる、とはいえ葉っぱの肉厚さやみかんの膨らみ具合までわかるはずもない。
さっきは飛び散るみかんの粒がはっきり見えた気がした。そりゃ夢だろう。
それに父は機械全般にすごく明るい。トロッコの操作をミスったりしない。
みかんづくり名人の父が、山で失態を冒すなんてあり得ないんだ。
若井先生の授業に身を委ねていればそう信じ込めそうだった、が、甘かった。
突如、快調に話す若井先生の左手にある引き戸が、勢いよく開く。
扉の向こうに立っていたのは、上下揃いの焦茶の背広に赤いシャツを着込んだ教頭先生だった。