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「みかんのヤマ」 8グレーの背広の農会長 20211227

 甲斐甲斐しく父の手伝いに精を出すのが常だった母は、奉ずる先を急に失って身動きすらできなくなっている。到着したわたしを一瞥するも、とくに何を言うのでもない。そのまま涙を垂れ流し立ち尽くすだけ。

 見かねた温子さんが、安置所の室の壁際にあるシートをすすめ、手を添え導いて母を座らせた。

 と、遺体前のスペースが空くタイミングを見計らっていたごとく、山の人たちがどっと病院へ駆けつけた。
 畠を接する四つの家からひとりずつが、もう動かない隣人に手を合わせ、人の運命のままならなさをひとしきり嘆き、なんでも頼ってくれと母に声をかける。

 四人目が母に声をかけ終わって室を辞するのと入れ替わりで、こんどは山の顔役たちがやって来た。
 まずふたりの副農会長が顔を出し、母に丁重に頭を下げる。役所関連のことをしている人と、渉外を担っている人がいるのだと父から聞いた覚えはあるけれど、わたしにはどちらがどちらなのか区別はつかない。

 そのうしろから姿を現したのが、山でいちばん偉い農会長。周りに目もくれずまっすぐ遺体の前へ進み出ると、口元をきゅっと結び山型にして、直立したまま微動だにしない。
 背はわたしより低いくらいなのに、グレーの光沢ある生地でしつらえた上下揃いのスーツを着込んだ背中はどっしり大きく映る。かすかに肩を震わせているのか、上着の裾が微細に揺れていた。

 長い黙祷を終えた農会長は母のもとへ歩み寄り、言葉少なにお悔やみと労いを述べた。帰り際には、通夜と葬儀の段取りも農会で手配すると申し出て、
「ただ、この時期だからね。さてどういうかたちにするか」
 とつぶやき、思案顔をした。


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