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サザンオールスターズ 『SOUTHERN ALL STARS』 は「身近な愛」をうたい上げる

 桑田佳祐とサザンオールスターズは、「空気」をつくるのが抜群にうまい。
 一曲ずつ、その作品の輪郭というか、纏う色合いがくっきりとしていて、いつもねらいがたいへん明確。
 1990年にリリースされた『SOUTHERN ALL STARS』は、バンドとして5年ぶりのアルバムとなるものだった。
 一曲目の『フリフリ’65』は、いかにもなロックナンバーで、みんなに久しぶりにアイサツかますか! と言わんばかりの快活さに溢れる。
 大いに「らしさ」を示しつつ、ほんのすこし探りを入れるような慎重さも垣間見えて親しみを感じる。

 同曲は、歌詞のキレっぷりがまたすごい。
「ヨダる ダンモな彼氏」
「かっぽれエッチなモーション」
「黎明期の陰部は乱気流」……。

 桑田佳祐の曲づくりはまずメロディづくりから始まる。最初は歌詞などなく、仮歌は適当に口にした音を羅列し当てていく。かまわずどんどんメロディとサウンドを構築していくと、それに似合った言葉が聞こえてきて、歌詞として採用されていくのだという。

 なので、一曲全体としてまとまった日本語らしい意味を持ってくるかどうかは、わからない。
「あとはメロディーとサウンドの情緒でくるんで、ひたすら皆さんのイメージ世界におまかせするわけです」
 と桑田佳祐はかつて述べていた。
 なるほど完成形は聴く側にまかせて、作者は何らかのきっかけを提供するに過ぎないという姿勢。この「いい加減さ」が桑田佳祐の持ち味かもしれない。

 彼は折りに触れて言う。自分がやっているのはポップスだと。
 ポップスの定義はいろいろあれど、ポップスについて彼はこうも述べていた。
 ポップスはいつの時代も、「百円ライター的な使い捨ての手軽さで、全く力強く存在して」いるのがうれしい、ポップスに携わっている自分としてもそこは誇らしいと。
 手軽で刹那的で大衆的なものを志向するのが、デビュー当時からのサザンの方向性だ。久しぶりに打ち出したアルバムの冒頭で、その根本は何ら変わらないことがはっきり示されているのだった。

『SOUTHERN ALL STARS』に通底するテーマらしきものがあるとすると、それは「愛」というベタな一語かもしれない。恋だ失恋だといったことにとどまらない、もっと大きな意味合いを持つ愛。それらは生活に密着した部分でこそ見出せるといった主張だ。

 愛について考えているのを端的に表す曲は、インストゥルメンタルに近い『GORILLA』。「あい」という発音が繰り返され、それは歌詞的には哀、逢、藍、ai、wai、そして愛とさまざまに表記される。いろんな「あい」があって、それらすべてが「愛」だよと伝えてくれるかのよう。
 
 続く楽曲は『逢いたくなった時に君はここにいない』。一曲を通して、愛を失いそうになっているある情景が描き出されていく。切なさが募るのは、快いテンポと深く身体に染み入ってくるメロディとともに、
「あんなに空が丸く見えるこの頃なのに」
「君と歩いた夏」
 などと、生活に密着した手触りのある言葉が随所に挟まれるからだ。

 身近な愛の誕生や持続、また消滅を、情緒や情熱とともに表してくれるのが桑田佳祐とサザンオールスターズの音楽で、それが半世紀に及ばんとする活動期間のいつだって変わらないところが、稀有なのだと思える。


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