「セールスマンの死」15 20211013
お手間を取らせました、どうぞ進んでください。
運転手に礼を言うと、霊柩車はまた音もなく前進し始めた。
元の道へ戻るため、すぐ現れる狭いT字路を右へ曲がる。家の前の道も交わる道も一方通行なので、ウチから車で出かけるときは、きっとこの狭い角を右に曲がらなければいけないのだ。
ということは、だ。移動手段がたいてい車だった父は生前、この角を数限りなく曲がったはず。
父はいつも何を思い、この角でハンドルを切っていたか。やっぱりたいていの日はイライラしていたか。
長らくセールスの仕事がうまくいっていなかったのは、息子にも察せられるほど明らかだった。そんな有り様じゃ、営業先への行き帰りはさぞ憂鬱だろう。車内では溜まったものを吐き出さんと、汚い言葉をひとりごちていたに違いない。
家族を乗せていても、カーブを曲がるときに父が不機嫌なことは多々あった。
なにしろ家の壁の色ひとつで悶着が起こる。あれは私が高校を卒業する間際のこと。建て替えや建て増しの代わりにせめてと思ったか、父がいきなり外壁の塗り直しを業者に発注した。ある日から平屋が丸ごとビニールで覆われ作業が始まった。二日後にそれが取り払われると我が家の外観もすこしはパッとする……と思われたがそうはいかなかった。
塗装はベージュとグレーの中間の、あまりに地味な色でなされていた。正直なところ塗る前と何ら変わり映えしない。色合いは父が家族の誰と相談するでもなく、工務店とのあいだで決めてきた。どうせ父はいいようにおだてられるか騙されるかして、工務店で在庫にでもなって積まれていた色を「掴まされた」んだろう。
塗装がなされた数日後、私は卒業後の手続きのため市役所に寄らねばならず、出勤する父の車に同乗した。走り出した車の窓越しに我が家をかえりみて、
「やっぱり地味よな」
つい口に出してしまった。すると父は、
「お前はっ……調子に乗っとるんか!」
烈火の如く怒り出した。急上昇する体温に炙られたのか、整髪料とシェービングクリームが混ざったこってりした香りが鼻をついた。車は角に差しかかっていて、ハンドルを切り損なうんじゃないかと不安だった。
そのときは八つ当たりも甚だしいとしか思わなかった。家の壁を塗り替えた理由を母から聞かされたのは、ずいぶんあとになってからだった。逃げるようにして東京の大学へ行ってしまった息子、つまり私が早く戻ってくるようにとの一心だったのだという。
「ちょっとでもこざっぱりしておいたほうが、あいつも帰ってくるとき恥ずかしくないだろう」
と言い、続けて母にも注文をつけたのだとか。
「お前も家の中はいつもさっぱりとな。料理もだぞ。お前のつくるものがもっとうまければ、あいつも無理に出ていったりせんかっただろうに」
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