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「セールスマンの死」6   20211004

 新幹線は飛ぶように走り、あと数分で名古屋へ着くと車内放送が報せた。死んでしまったあととはいえ、父のためにこの土地へ馳せ参じるなんて奇妙だなと感じた。かつては父から逃れるため、一目散にここから出て行ったというのに。

 十八歳の早春の日、いま乗車しているのとは逆進行の列車に乗り上京したときのことがふいに蘇る。
 現在もまだあるんだろうか。あのころホームでは立ち食いのきしめん店が、鰹節出汁の匂いを盛大に漂わせていた。唾液腺を刺激する香りは新幹線に乗り込んでもついてきたが、肉厚な乗降ドアが閉まったとたんシャットアウトされた。すべてを断ち切りこれから新しい自分になるため家を出たんだという、十八歳なりの決意が改めて思い起こされる気分だった。

 席に座って身体を刻一刻と東京方面へ運ばれていると、気分が知らず高揚した。移りゆく窓外の景色をいちいち新鮮に感じる。やがて田んぼや山並みは消え家屋ばかりが目立つようになり、建物の高さがぐんぐん増してく。まもなく終点の東京だとのアナウンスとともに、ビルの谷間に有楽町マリオンから銀座四丁目交差点が煌めく光景を眺め渡せた。

 その刹那、田舎からみごと完全脱出に成功だ! と心の内で喝采した。乗車券・特急券も指定席券も予約し購入してくれたのは両親であることなど忘れ、ひとり悦に入った。
 あんな人たちの言うことなんて聞かなくて正解だったんだ。父はやっぱりただの、井の中の蛙だったな。浮かれた当時の私は、そう勝ち誇った。

 十代のころなんてたいてい誰でもそうだけど、私も自分はひとかどの人物になる、いや少なくともその資格や可能性はあると固く信じた。
 あるべき自分になるためには、まず自分を取り囲むみみっちい環境を打破しなければ。私の場合は、そのみみっちさの象徴を父と見立てた。ならばまずその仮想敵を嫌悪し尽くすべし。敵を倒し踏み越えてこそ、自分が大いに羽ばたくストーリーを描けるというものだ。
 私にとって都合がよかったのは、父がみみっちい権威主義と唾棄すべき小物っぷりをじゅうぶん過ぎるほど体現していたことだった。
 
 父はしがないセールスマンだった。仕事に出かけるときはいつも、大きくて重そうなアタッシェケースを手にぶら下げていた。そうして帰ってくるときも、まったく同じ重さのアタッシェケースを引きずるように持ち帰る。あの荷物を持ち運ぶことそのものが仕事なのだろうなと、小さいころの私は信じ込んでいたくらいだ。
 カバンの中身は見たことがない。たしか百科事典を売り歩いていたのだったか。子どもが勉強するのに必要なものを届ける立派な仕事よと、母から説明を受けた気もするが記憶は朧げだ。

 いまや詳しく知る由もないけれど、セールスの首尾が上々だったとは思えない。 
 私が生まれたときから住んでいたニュータウンの中の一軒家は、分譲されたときのままの一階建てだった。周りはどんどん建て替えや建て増しで二階建てに生まれ変わっていったというのに。たぶんうちには、二階をつくり子どもに部屋を用意してやる余裕などなかったのだ。

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