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「みかんのヤマ」 7父の転落  20211226

 赤シャツ教頭はわたしの名を呼び、荷物を持ってすぐ教室を出るよう告げた。

 訳のわからぬまま暖かい自分の席を立ち、後ろの戸からひんやりする廊下へ。
 先に立つ教頭から遅れぬよう小走りに進むと、来客用昇降口で佇む温子さんと出くわした。収穫の繁忙期に他所から決まってうちの畠に来てくれるアルバイトの温子さん。日頃の血色のよさと肉感は影を潜め、眼がつり上がっている。

 父が落ちた。搬送先の町の病院へ車で向かおう。
 最小限の言葉で事実を温子さんから伝えられたわたしは、そのまま軽自動車の助手席に詰め込まれる。凪いで静まり返った海沿いのうねうね道を派手なエンジン音を立てて行くのは、なんだか恥ずかしかった。振り返ると、リアウインドウいっぱいにみかん山が見えた。いつも通りにどっしりと構え、丸っこい山頂の上空にはぽかんとひとつ、ちぎれ雲が浮かんでいた。

 町でいちばん大きい病院に着いて、やたらに長い廊下を指示されるがままに進むと、その先には立ち尽くしてただひたすらに涙を流す母の姿があった。父はもう事切れていた。
 あっけない。あまりにあっけないよ、こんなの。考えが追いつかなくて、それ以上のことは何も浮かばなかった。

 思考停止になったわたしを取り残したまま、そこから先は一気に事が進む。まるであらかじめ脚本があって、しかもそのページがちぎれんばかりの猛スピードで捲られていくようだった。


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