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ことばスケッチ 4 「境界線」

メイアイカムイン?
交代でピッチに入るときはいつも、誰にも聞こえないボリュームでそうつぶやいてから、タッチラインをまたぐことにしている。
すると右足がピッチの芝に触れる直前、およそ五分五分の割合で、
「どうぞ」
と、どこからか返事が聴こえるんだ。
そのひと声はいつも、たしかな後押しになってくれる。
ピッチに立ってプレーすることを、許されて僕はそこに在ると感じられるから、怖いものなんて何もなくなる。
ただ自分の表現をしさえすればいいんだと、頭の中がすっきり整理されて、集中力はぐっと高まる。
とはいえもちろん相手のあることだから、必ずゴールを奪えるという保証などまるでないし、すべてのプレーに成功するわけでもない。けれど自分の思い描いたプレーイメージを、かなりの確率で実現できるようになるのはたしかだ。
自由の利かない足でボールを扱う不確実性満載のフットボールにおいて、「イメージ通りにプレーできる!」感覚はいかに稀有であり、気のすく体験であることか。
ひょっとするとこれは、与えられた短い時間のうちにひとつでもインパクトあるプレーをして、自己を強烈に印象づけないといけない「交代選手」だけが、特別に持ち得る感覚なのかもしれない。
安定した精神状態を持続させ、九十分のパフォーマンスを粒揃いにしなければならない「スタメン選手」とは、置かれた状況がかなり違うのだ。
そうなると許されてそこに在り、イメージ通りのプレーを実現する歓びに浸ることの味わいは、ごく限られた者だけが知るということになる。
ピッチをまたぐときに心内に響く「どうぞ」というあの声を、多くの人は聴いたことがないなんて、ちょっと驚いてしまう。

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