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「若冲さん」 8    20211029

 丹波で豆を作っていた家を出て京都の大店・桝源へ奉公に入り、当主のお世話を仰せつかってはや三年余。ユウが顔貌に湛えていたあどけなさもすっかり消えたころ、仕えている四代目伊藤源左衛門が動いた。

 庭のもみじの葉の色が最濃の盛りを過ぎた日の午後、四代目は大きな包みを両手でかかえて帰ってきた。ユウの眼にはその姿がいつになく、いそいそして浮き立っているように思えた。他の者はまず気づかないだろう微細な粟立ちではあるのだけれど。

 きっと今日も大徳寺に顔を出してきたんだろう。目をかけていただいている高僧がおられるらしく、このところ四代目はちょくちょく部屋を空けるのである。

 すこしでも意識が外に向くのはいいことだ。伊藤家にとっても喜ばしいはずだけど、当主に代わって家業を守るふたりの弟たちが店奥で話し込んでいる脇をユウが頭を下げて通り過ぎたときには、
「ウチは代々知恩院さんの宗派だちゅうのに、なんでまた禅の坊様にご執心となっちまうんだ?」
「出歩いて健在を錦界隈に報せてくれるのは助かるんやけどな。我らが蟄居させてるなんて噂も立ったからなあ」
 と、一家のお荷物ぶりは相変わらずのようだった。

 自室で大徳寺から運んできた包みを置くと、四代目はさっそく結び目を解きにかかった。
 畳の上に広がったのは、小さく仕分けられた色とりどりの粉、幾重にも重ねられた小皿、大小何本もの筆、美麗に漉かれたり編まれたりした紙や布、その他こまごまとしたものがあれこれと。

「これか? 絵を描く道具や」
 四代目が満足そうな、誰かに何かを誇るような口調で言った。それもユウくらいしか気づかないであろう微細な胸の張りようだったのだけれど。

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