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書き出しのレッスン  〜冒頭の情報圧縮  「スカルプター」

それまで存在していなかった、まったく新しいモノをこの世に在らしめる
神をも畏れぬ所業を為す者、それを人は「彫刻家」と呼ぶ

 「スカルプター発掘コンペティション」。流通業大手「T倉庫」が主宰する公募展は毎年、三百超の応募作を集める。彫刻を志す若者が漏れなく応募している計算になる。
「おうおう。なんてわかりやすいこと……」
 スタンドカラーシャツにゆったりなシルエットの黒ジャケットを羽織った大柄な老体が、応募作を一堂に並べた審査会場いっぱいに響く声を漏らした。
「未だこのレベルかい。やっぱり審査員なんてやるもんじゃないな」
 穏やかでない言葉に、事務局長の小俣さんがすぐさま反応して、近くへ寄ってきた。
「蓮さん、恐れ入ります。なかなかお眼鏡に適いませんか?」
「うん。だって安易じゃないか。いくら今年のテーマが『悲しみ』ったって、泣いている少女の姿をかたどれば、悲しい彫刻になるわけじゃないよ」
 見ればたしかに、応募作は似たり寄ったり。日本美術界の重鎮にしてうるさ型の代表格、H美術館館長たる蓮老人ならずともクサしたくなる眺め。
 早々にテンションを下げた蓮さんは、かすかな義務感を支えに、審査会場をのらくら歩いた。概ねひと通り巡って、最後に残ったまだ見ぬ一角に目を向けた瞬間だった。黒づくしの大きな老躯の歩みが止まった。
「なんだこれは……。なぜそんなことができる? こいつだけ、まるで悲しみの中にいるじゃないか!」
 蓮さんを釘付けにした彫像は、壁際にポツリ打ち捨てられたかのごとく置かれていた。
 小さいサイズの人物像。粘土状のものを捏ねて、ザックリとかたちをとっただけの、ごく素朴なもの。遠目には、単なる鼠色の土塊がドチャッと積まれているだけにも見える。
 ただならぬ気配を察して寄ってきた小俣さんが口を挟んだ。
「この作品ですか? ずいぶん投げやりな表現で。冷やかしですかねえ」
 言い終わらぬうち、蓮さんが言葉を被せる。
「いや違う。そうじゃない。見つけたぞ、彫刻家を!」
 大きな声を挙げる蓮さんの顔を、小俣さんが思わず覗き込む。と、今度は小俣さんが、
「ひ……」
 と奇態な音を喉から漏らした。蓮さんの表情があまりに怖い。眼の焦点が合わず、唇はテラテラと濡れている。言葉を発していなければ、すわ脳梗塞の徴候かと疑ってしまいそう。
「何だいそんな顔して。これぞ彫刻家の仕儀というものだろうよ。これまでどこにもなかったものを、この世に在らしめている感がある。そして見よ、内側からせり上がってくるボリュームを! 他と違ってこの彫刻だけ、単なる『殻』じゃない。中身が詰まってるのがヒシヒシ伝わってくるだろ」
 そこまで言われても、小俣さんの反応は腑抜けていた。
「そういうものでしょうか、ね? 中学生が美術の授業で、提出期限ギリギリに慌ててつくったような代物に、私の眼には映ってしまうんですが」
 小俣さんの意見は、フンと鼻先で一蹴された。
「あのねえキミ、手業の細かさや根気を諮る競技かい、この公募展は? 箱根旅行の土産物を見繕ってるわけじゃあないんだ。権威ある公募展の体裁を保ちたいのなら、もっと本質を見据えなくちゃいかんだろう」
 ひと息に言い放った蓮さんだったが、しかし、とはいえだな、とモゴモゴ続けた。
「たしかにわかりづらいんだよ、このままじゃ。そこは明らかな欠点だな。だからまあ、心配しなさんな。これを審査でゴリ押しするようなことはしないから」
 蓮さんはたしかに自身の言葉をきっちり守った。
 作品の実見に続けて審査員は別室に集まり討議し、グランプリを総意で決める。その場で蓮さんが強く何かを主張することはなかった。
 結果、技術力に秀でた完成度の高い人物像が、グランプリと準グランプリに選ばれた。蓮さんの言う「唯一の彫刻家の作品」は、話頭にも上らなかった。
 審査の先生方を見送って、
「よかった、大過なし」
 と、事務局長たる小俣さんは大きく息を吐いた。
「あとはアレ、蓮センセイのことだけ忘れず済まさないと」
 帰りがけの蓮さんから、紙片を渡されていたのだ。「唯一の彫刻家」に、メッセージを伝えてほしいとのこと。
 メモの内容をそっと覗いてみると、
「ウチの作品をよくよく観て勉強なさい。繰り返し、繰り返し触れねばわからぬことが、世にはある」
 蓮さんの署名とともに、それだけ書いてあった。
 蓮さんのいう「ウチ」とは無論、H美術館のことだ。
 現代美術を専門に扱う初めての美術館として、蓮さんが立ち上げた場。創設は一九七八年だから、四十年以上も蓮さんは館長であり続けている。
 私設の美術館をそれほどの長きにわたり存続させてきた、それはたしかに尊敬に値すること。多少態度がでかかろうと大目に見ようと小俣さんは思い、メッセージの伝達も確実に事務的に処理をしておいた。


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