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第十三夜 『しぐさの日本文化』 多田道太郎

「ある文化は、それをになう人びとがたがいにたがいをまねあうことによって、成りたつともいえる。」


 世にものまねタレントなる存在がいて、ものまね番組まであるというのは、なんて不思議なこと。つねづねそう思っていた。

 でも日本文化にとって、まねるとはひじょうに大きな意味がある。集団の維持を重んじる日本文化内では、似ていることはいいこととみなされる。だってみんなと似ているというのは、集団にとっての安心につながるから。 

 ここでホイジンガやカイヨワが確立した「遊び=文化」の型を持ち出してみる。自分が自分であることを放棄しがちな日本文化が好むのは、人形ごっこや芝居など他者になる遊び。また、スキー遊びなど自分が崩壊する感覚を楽しむ遊びも好まれる。つまりは、模擬と眩暈の原理が強く働くのだとか。

 どこまでほんとかどうかわからないけれど。

 ともあれ、自分が崩壊する感覚を楽しめるのは、心の底に大きな安心感があるからだろう。似た者同士の集団に守られているという、安心感。似ていること、他と同じことがよしとされるのだから、自分が自分でなくなるほど安心感はいや増すこととなる。

 思えば文化は継承されていくから文化となる。延々と写しがつくられていくということ。それが文化の正体だ。

 それに、そもそも生命だって同じだった。わずかな揺れやズレを含みながら、遺伝子を忠実に写して受け継いでいく、それこそが生命の営みだ。まねて似せて同じになろうとする欲求は、とことんとことん根源的なものということ。

しぐさの日本文化

多田道太郎

筑摩書房


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