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現在史1990〜  1990年12月のこと

 一九九〇年十二月末日だった。
 大晦日とはいっても、特別なことは何もない。大掃除だってしない。秋口から同じペースで続けてきた受験勉強を、ひたすら継続するだけだった。
 前の週から冬休みにはいった。年が明けても、三年生は通学しなくてもいいから、高校は実質終わったようなものだ。一日丸ごと二十四時間が、自分の手元に落ちてきた。ふつうなら持て余しそうだけど、いまは目の前にやることがたくさんあって、それをこなすのに精一杯で、時間はあればあるだけありがたい。
 焦っていた。国語も英語も世界史も、自分の立てた計画からこぼれ落ちていく分が、日々どうしても出てくる。今日こそ取り返そう、明日は挽回すると決意して、眠るころには達成できないことが判明してまた落胆するの繰り返し。
 大晦日や元日とて貴重な稼働日であって、特別なことはまったくせず部屋に籠っていた。両親が何も言わず合わせてくれているのは、ありがたいことだった。それどころか、口を挟むことすらほぼないのは、よくよく自制しているんじゃないだろうか。
 大人から見れば、十代のやることなんて、危なかっしくてしょうがなく映るだろうに。その分野に通じているわけでなくとも、人生の先輩づらして根拠もなく、偉そうに余計なことを言ってしまうのが常だ。とくに受験、勉強、進路、将来の展望などという題材は、だれもが何かを語れそうな気になるから要注意なのに。
 受験先にしたってそうだ。どこを目指すかは、本人の専権事項と言わんばかりに僕が口を挟む余地を与えない態度だからしかたないにしても、併願先についてはこちらも引け目を感じる。
 私立大受験をするので、いわゆるすべり止めのようなかたちで六つも七つも試験を受ける。すると、受験料だけで数十万円。そんな経済的余裕が家にあるものなのかという考えが一瞬あたまをよぎるけれど、いやみんなそういう受け方をしているのだしと、こちらの要望通りに受験手続きをさせてもらった。
 
 明るいうちはずっと机についていて、夕飯どきに階下へおりた。天ぷら蕎麦をすすって、そそくさと自室へ引き返す。そのあといちど、コーヒーを淹れに再びおりたとき、リビングでは音声を絞り気味にしてテレビが付いていた。
 僕の気配を察してチャンネルが変えられた雰囲気があった。たぶんNHK紅白歌合戦を観ていたであろう両親が、子の気持ちを慮ってお祭り気分の番組はまずいと考え、適当にリモコンをさわった様子。
 当てずっぽうに選ばれたチャンネルでは、サザンオールスターズの年越しライブの中継をやっているのがチラと見えた。
 部屋に戻った僕は、コーヒーカップを机の上に置くと、久しぶりにステレオの電源を入れて、CDラックに円盤を滑らせて小さめのボリュームで音を鳴らした。今日くらい聴きながら勉強するのもいいかなと思った。
 何を流したのかといえば、受験勉強を本格化させる前だった今年のはじめごろに買ったCD『SOUTHERN ALL STARS』(→https://www.yamauchihiroyasu.jp/n/n0e3a263c1473)。
 古文の単語帳を開くかたわらで、耳に流れ込んでくる音と詞を、ずいぶんオトナっぽい成熟したものに感じた。
 この単語帳を覚えた先に、まだ見ぬ新しい大学生活なるものがあって、そこはサザンの曲みたいにオトナな要素もたっぷり含まれているはずなんだと夢想した。エアコンを回しっぱなしで乾燥した空気にさらされた肌に、ほんのすこしの湿りけというか、潤いのようなものを覚えた。


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