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港千尋『注視者の日記』 〜トタン屋根書店で見つけた本〜

これも私は写真集とみなしたいですね、と店主が取り出してきたのは、港千尋の『注視者の日記』だった。

写真は対象とのあいだに距離がないと取れませんから、撮影者は必ず事象の傍観者となりますよね。見る人、観察する人にならざるを得ない。一歩引いた位置にいて没入していけない立場を「淋しい」と称した写真家もいましたが、港はみずからを「注視者」と呼んでその立ち位置を愉しんでいるふしがあります。プラハやザグレブ、パリなど各地を巡りながら写真を撮り、思索を巡らしその軌跡を文章に起こす。写真はたまに差し挟まれる程度ですが、この人の文章も対象との距離をつねに推し量っているからか、ひじょうに写真的と感じられるのですよね。
港はあるときデジタル・フォトグラフィーのシンポジウムに出席します。そこではデジタル化によって像の信頼性が失われる事態の到来が心配され、
「電子化によってかつての物質的な記憶系が持っていた連続性が切断されてしまう」
と誰かが発言する。でも、と港は考えます。じゃあアナログの銀板写真はどんな連続性を持っていたというのか。本当に「かつて それは あった」と言えるような代物だったかといえば疑わしいのです。
1839年にパリ・テンプル通りでダゲールが撮影した最初期の写真でさえ、あまりに長時間露光が必要だったため、本当はそこに行き交っていたはずの通行人の姿は、動くがゆえ消えてしまっている。かつてそこにあった光景を留めているとはぜんぜん言えないではないですか。
デジタルになったからといって、そんなに心配しなくたっていい。そもそも写真はハナから真など写していないのですからね。


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