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日本百名湖 四尾連湖  (1)

 うねうねと続く山路を、慌ただしく右へ左へと車体を向けながら、延々と登っていく。

 むりやり勾配を稼ごうとするような道ではないので、クルマへの負担はさほど大きくない。ギアはずっと通常の「D」のまま、セカンドやローギアに入れる必要もないのはよかった。
 いったいいくつめのカーブだったか。ハンドルをぐっと右に切ってからアクセルを踏み込んだ瞬間に、耳の奥のほうが痛くなった。そうして甲高い音が小さく、持続的に鳴り響く……。
 またきたっ!
 と思った。高度がある一定に達すると、そうなるのかもしれない。湖に向けてクルマを走らせていて、目的地に近づいたころ、よくこの生理現象は起こるのだ。
 外界の音が聞こえぬわけじゃないが、水の中に飛び込んだみたいに完全にこもってしまう。
 試しに自分で声を発してみた。
 あーあー、うーうー。
 声はどこか遠くで鳴っているとしか思えない。
「本日は十月三日。わたしはいま山梨県甲府から南下して、四尾連湖を目指している者でございます」
 大きめの音量でひとりごちでみる。もちろん聴こえはするが、自分の声はさてこんなだったか。それに、言葉の意味がまったく頭の中に入ってこない。
 ならばと歌ってみた。
「グリングリン青空には小鳥が歌いぃ。グリングリン丘の上にはララ緑が萌えるぅ」
 音程のめちゃくちゃぶりは措いても、歌声がまったく伸びていかない。「グ」、「リ」、「ン」、と一文字ずつの塊が、空中に飛び出した途端すごい重力に引っぱられ、ぼとりシートへ落ちてしまう。
 まるで、
「ここから先は、言葉の届かない異国だ。ようこそ。意味以前の世界へ」
 と宣告を受けているかのよう。

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