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(スタート!)            「五十年間失敗し続けた男 平田靫負伝」  1 美濃の丑三つ時  20220112

 私を馬鹿にしてきた者ども、思い知るがいい!
「算盤を弾く指先ばかりよく動く臆病者」
 だの、
「ナリはでかいが人を率いる器にあらず」
 だの。よくもさんざん陰で罵ってくれたな。
 見ておれ。ひと思いにいく!

 燃えさしの蝋燭を灯した自室でひとり、薩摩藩家老の平田靱負正輔は肌を脱ぎ、痩けた腹を晒していた。
 眼前には清めの紙片。真っさらの手拭い。先ほどしたためた辞世の句。そして、終生携えてきたが抜くことなどなかった御家伝来の短刀。
 それらが律儀に角を揃え並べてある。

 準備は万端に整った。
 宝暦五年五月二十五日の丑三つ時。故郷を遠く離れた美濃の地でのこと。
 平田はこれから、完璧なる流儀に則り、自ら腹をかっ捌こうとしている。
 
 しばしの沈黙。来し方に想いを馳せているのか。そうではない。
 切腹の手つきと手順を、頭のなかでもう一度さらっていたのだ。
 間違いがあってはならぬからな。が大丈夫、しかと呑み込んだ。
 平田は気を取り直した。

 いざ。
 短刀を生涯で初めて抜く。
 左手は下から柄を支え、右手で上から押さえつけるようにしっかりと持ち、左の脇腹に刃先を添える。
 そうしてひと息に力を込める。

 ぷつっ。
 短刀の先が声を発する。腹の皮が裂ける音だ。

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