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「完璧の誕生 〜レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿発見顛末〜」 8 《モナ=リザ》のための第二日 〜ラファエッロの置き土産

 ペルジーノの工房に身を預けているというのに、ラファエッロは三日と空けず作業場へ足を運んできてくれた。数えて今日で三回目となる。
 ちっぽけな一枚の肖像画に過ぎぬ我が《モナ=リザ》に、たいそうな執心ぶりだ。やって来ると一応は愛想良くしつつ、脇目も振らず模写にかかる。
 まあ、あくまでも肖像画に夢中ということであるか……。
 自分の手がけた絵が人に影響を及ぼすのは、もちろん満更ではない。ただ同時に、胸がギュッと鳴るような息苦しさも覚える。
 だって、すこし傷つくではないか。ラファエッロの眼を惹きつけて止まぬのが肖像であって、明らかに自分ではないことに。
 まあそれはそうなのだが。彼からすれば老いた父親のような存在の自分に、いちいち惹かれる理由もなかろう。
 ここはせめて心の寛い先達として、一事に打ち込む凛々しい顔を見つめるに留めておくべし。
 それにしても、なぜこれほど……。
 熱心に肖像の写生を続けるラファエッロを眺めながら、私は自問した。出逢って間もないこの若者に、これほどまでに惹かれてしまったのか。
 思い起こすにまずは、出逢ってすぐ耳にした遠慮や怖れの混じらぬ朗らかな話し声に痺れた。内面の意思を忠実に反映しているまっすぐな瞳の色も、眩しくてしかたなかった。そしていま眼前にあるような、天衣無縫としか言いようのない無垢なる表情!
 これで技芸にも抜きん出ているというのだから……。ほとんど完璧ではないか。
 こんな相手に愛されたら、どんなにか幸せだろう。
 ああ、よく夢を見るのだ。一度でいい、愛する相手から愛されたいと。一片の曇りもない純な情愛が、自分の一身に降り注がれたらどんな気分か……。
 もちろん私とて、長じた後に誰もが相思相愛の体験を得られるものとは思っていない。が、幼年のころはどうか。「ああ食べてしまいたい」などと口ずさむ母親から、全身を包み込まれるような情愛。そうしたものを、一度は浴びた者は多いのだろう。それがうらやましいのだ。私には、そうした体験が丸ごと欠けているゆえ。
 いや、幼少時にまったく愛情を得られなかったとは言わぬ。トスカーナの山裾の寒村生まれとはいえ、父ピエロは公証人として手広く仕事をこなす身分にあった。経済的にはゆとりある暮らし。ただし我が母親は、父の正式な妻ではなかった。つまり私は非嫡出子である。
 貧しい農家の出だった母カテリーナは、あるとき父ピエロと近しくなり、私を宿した。身分違いであり夫婦になれぬことは承知の上だ。
 こっそり出産を済ませると、カテリーナはおそらく何某かの手当てとともに暇を与えられた。出産後の消息はわからない。幼子の私は、ピエロの祖父母が暮らす邸宅に引き取られていく。そうして、一族のうち誰かの目が常に届く環境で育った。
 思えば幼年期は安逸だった。中流と呼んでいい裕福さに、家を継ぐ責任などとは無縁の気ままさ。周りはトスカーナの豊かな自然がたっぷりだ。その中で、ただひとつの瑕疵はといえばそう。強烈に愛された経験が欠けていたことである。
 一族の者から総じて眼を注がれたとはいえ、私に特別な思い入れを抱く者などいなかった。母なき私は、心身ともに一体化してしまうような無償の愛を味わう経験を一度も持たぬ。
 物心ついてからこの方、いつだって何をしていても心のどこかでどうにも埋まらぬ空虚さがあるのはそのせいだろう。
 長じて男性にのみ欲望を感じる性向となったのが、生い立ちと関係するかどうかはわからぬ。ただ老境に差し掛かったいまも、無私の愛を存分に浴びてみたいとの欲望が消えていないのはたしかだ。
 突如として我の前に現れた若者ラファエッロよ! 何ら含みない無垢なる瞳と微笑を湛えたその表情は、私が幼少の頃より抱き続けてきた無私なるものへの想いを強く刺激するのだ。
 自分を掻き乱す欲動が、性的な欲求なのか郷愁なのか普遍的敬虔的な愛なのか……。自分でもまったく判然とせぬままで困ってしまう。
 ラファエッロの屈託ない表情がアトリエ全体を明るく照らした時間は、ひたすら幸せだった。ひょっとするとこれが、私の知らない無償の愛ある時間だったのかもしれぬ。たとえそれが私からの一方通行の愛情だったとしても。
 が、しかし。素晴らしい時間はすぐに過ぎ去る。いま私はアトリエでひとり、肖像画と向かい合っている。手業の早いラファエッロ、きっちり三日通っただけで模写を終えた。事を済ませば彼は、にこやかで完璧なる表情を崩さぬままあっさり去ってしまった。
 室の片隅にでも明るい空気の残滓がないかと眼を彷徨わせるも、ラファエッロがもたらした軽やかさはすでに見当たらぬ。初老の男に似つかわしいどんよりした空気だけが、刻々と沈殿していくのを目の当たりにするだけだった。 
 天真爛漫な笑顔を振りまくのと引き替えに、私からというより《モナ=リザ》からラファエッロが掴み取ったものは大きかったはず。これを弾みとしてラファエッロが、有望な若手画家のひとりという立場から一頭地を抜く存在へ飛躍してもおかしくはない。
 ではこちらがラファエッロとの邂逅から得たものは? 老いらくの淡い恋心のみか。そんなことはない。
 ラファエッロが模写に励むあいだ、こちらもその真剣な美しき顔に見惚れるだけでなく手元を必死に動かした。完璧な美を湛えたラファエッロの姿を、幾枚ものスケッチに留めた。
 ラファエッロのあの表情を、これからこの肖像へ組み込むのだ。リザヴェータをなぞって外形をかたどることはできた。が、まだそれだけでは絵に生命は宿らぬ。そこへ、ラファエッロの完璧なる表情のエッセンスを描き加えよ。さすればこの絵には真に魂が宿ることとなる。そう内なる声が叫んでいる。その声に従って私はいま、一心に肖像へ筆を加えている。
 一筆、そしてまた一筆。筆を振るうたび肖像の顔面は、どこからか陽が差し込んできたと思うほど明るくなっていくのが快感だ。
 とりわけ見違えたのはその口元の表現。ラファエッロの面影を重ねることによって、かすかな微笑みが浮かび上がってきた。肖像の全体が、浮かび上がらんばかりな軽やかさを帯びてきた。
 油で溶かした顔料を筆で掬い取り、立てかけた板にほんのすこしずつ塗り込めていく。黙々とそんな作業を続けて何日が経ったか……。数えてもいないからまったくわからぬ。ラファエッロがやって来てすぐにまた去ってしまってから、日中のほとんどの時間をこうして肖像画の前で過ごしていることとなる。
 隣の大部屋に広げた《アンギアーリの戦い》の下絵群は、ラファエッロとの邂逅以来まったく捗っていない。下絵を壁画の原寸大に引き伸ばしていく作業を早く進めたいと弟子たちにもせっつかれたが、このところは彼らを作業場へ呼び寄せることすらしていない。
 またこの作品も遅れに遅れ、未完となってしまうのかもしれない……。完成させられないレオナルド、その本領発揮といったところかと自嘲したくなる。困ったことだとは思うが、すでに気持ちは丸ごと肖像画へ持っていかれており、どうしようもない。
 しかも、だ。肖像画のほうはこうして時間をかけ筆を重ねるほど、描いている自分自身も驚くほどの変貌を見せつつある。単なる平面の上に、何かが宿り始めていることを折に触れ感じる。
 そのたび、肌という肌が総毛立った。
 いまこの絵から、どうして我が眼を離せようか。
 あの愛すべきラファエッロの面影を盛り込もうとするだけで、肖像に生命感が充溢し始めたのだ。大したタマである、ラファエッロとは。若輩の彼から、かくも深い教えを授かろうとは思いも寄らなかった。
 ラファエッロが運んできた恩恵をすっかり画面へ盛り込むには、もうしばしの時がかかる。この絵はそうそう完成へ近づきそうにない。
 しかし、それでいい。描いているあいだは、ラファエッロの幻像と戯れていられるのだ。こちらに何の不満もない。
 ただ注文主たるリザヴェータの夫、フランチェスコ・デル・ジョコンドにはだけは……。何と言い訳をして時を引き伸ばせばいいか。
 ああ処世は煩わしく、この世はなかなかに住みづらいもの。肖像に微笑みを描き加える手を止めぬまま、私は小さな嘆息をするばかりである。


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