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「若冲さん」 1    20211021

 確実に客を呼べる「ドル箱」スターは、いつの時代のどんなジャンルにも存在する。

 美術の世界だって、もちろん例外じゃない。お高くとまっているように見えて、一皮剥けばあれも露骨な人気商売だから。
 話題の大型特別展! などと銘打ち、会期中に数十万人の集客を見込む展覧会は全国で後を絶たないが、それらはまさに「ドル箱」頼みで成り立っている。

 その仕組みを支えるスターとはどんな面々か。西洋美術だとモネやルノワールらの印象派やゴッホ、はたまたフェルメールといったところ。
 では日本美術なら? 圧倒的な人気を誇るのは、伊藤若冲だ。

 来年に没後二百二十二年を迎える若冲は、江戸時代中期の京都に生きた絵師。奇抜な画想を、人間業とも思えぬ緻密な描写で表す作品で知られる。
 代表作を挙げるなら《動植綵絵》となるか。動植物の図柄が三十幅にわたって連なる大作で、現在は宮内庁所蔵の逸品となる。

 と書くと、人気もあって由緒も正しい比類なき絵師みたいに映るが、実際はそうじゃない。生前も没後長らくも、彼の立場は明らかに「外れ者」だ。

 若冲の生きた江戸時代、美術の正統を占めていたのは「狩野派」である。彼らは幕府と強いつながりを持つ御用絵師集団で、当主は時の将軍との面通しも叶うほどの身分だった。
 狩野派を名乗る絵師は厳しい鍛錬の末、勇壮で洗練された画風を全員等しく会得し保持した。描くモチーフや構図も伝統の名の下に細かく決められていたから、正規のルートで狩野派に依頼さえすれば、日本全国どこでも安全安心・高品質な絵画が確実に得られたわけだ。

 若冲は江戸時代の絵師ながら、狩野派には属していなかった。じつのところほんの一時期なら狩野派の先生について絵を習ったことはあったのだけど、まったく長続きしなかった。ゆえに正統の狩野派による作例と比べれば、若冲の絵はまったくの異物に映る。

 出鱈目と貶められても文句は言えないし、よく言えばオリジナリティ溢れるともとれる。そんな若冲を称して「奇想の画家」と呼んだのは、美術史家の辻惟雄だった。
 一九七〇年に刊行した『奇想の系譜』の中で、岩佐又兵衛、狩野山雪、曾我蕭白、歌川国芳、長沢芦雪とともに伊藤若冲を取り上げ、江戸時代に「変わり者の絵描き」の系譜があったことを明らかにしたのだ。

 辻による「奇想」論は、江戸文化を見直す世の流行などとも相俟って、しばしば美術史の枠組みを超えて話題となった。それで奇想の代表格とされた若冲にも耳目が注がれるようになる。そうして二〇〇〇年代になると、ひとたび作品が展覧会に出品されれば、たちまち行列ができる人気者と相成った。

 と、こうした経緯があるにはあるのだが、それでも二百年以上もの昔に描かれた若冲の絵にこれほど多くの人が熱狂するのは、どうにも不思議だ。
 思えば若冲作品は「細か過ぎ!」「デフォルメし過ぎ!」「色、鮮やか過ぎ!」と突っ込みたくなるほどの極端さにあふれ、いわゆる「インスタ映え」する絵。時世に適っているとは言えそうだけど、そうした画風の奇天烈ぶりだけでかくも人を惹きつけられるとは考え難い。

 他に何か、いまを生きるこちらの肺腑をくすぐる何かがありそうじゃないか。
 そう考えて若冲の足跡を改めて紐解こうとすると、故郷での現在の評価が目につく。
 生まれ育った京都ではいまだ、まるで近所の旦那の噂話でもするごとく彼のことを、
「若冲さん」
 と多くの人が呼ぶ。異様に近いこの距離感は、いったい何なのだ?


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