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日本百名湖 四尾連湖 (2)

 カーナビはさっきから、目的地到着がまもなくだと告げているのに、そこからがやたらと長い。
 あいもかわらず左右へハンドルを切り続けて、これは永遠のループに嵌まり込んだに違いないと思い始めたころ、唐突に視界が開けた。山地をむりやり切り拓いた空き地が、眼前に現れた。駐車場だ。
 車を降りた瞬間、耳の中に空気がギュッと詰まる感じがした。バタムとドアを閉める音も、こもってしまってまったく耳に響いてこない。キャッチすべき球が一切飛んでこないから、耳がまったく無用の長物になった。それだけで、何かが起こる予兆めいたものが忍び寄ってくる気がした。
 湖畔へ出るには、この路を下れという案内が出ている。従って足を踏み入れたとたん、両側にブナの枝葉が両側から迫ってきて、肩を狭めないと進めないほどになる。
 かき分け降りていくと、木の間から異様に光るものが覗いた。視界を遮る枝を払うと視界が開け、小ぶりの水辺が見下ろせた。湖面が、降り注ぐ光を一身に受けて弾き返している。
 眩しい照り返しを見ていたら、尾てい骨にまで響くような痺れを身体に感じた。吸い込まれるように湖面のほうへ足を運ぶ。そう、この人を惹きつける妙な力は、「湖」面ならではのもの。不思議なことに、池の水面ではこうはいかない。これが自然の力というものなんだろうか。
 火山活動やら大地の浸食やら、なんらかの自然の営みによって生まれたのが湖だ。一方で灌漑用やら防災用やら、人の営為によって人工的につくられた水の溜まりを池という。湖と池にはそういう区分がある。
 人力は自然のそれより常に弱いから、池はたいていさほど大きくなく、湖はときに途方もなく巨大だ。でもサイズの違いは一概には言えず、ずいぶん小ぶりの湖だってある。
 いま湖面が目の前に広がる四尾連湖も、そうした例外のひとつ。湖畔に立つと、どこからでも湖面の全体が一望できてしまう。周囲をぐるり歩いて一周したところで、十分か二十分程度じゃないか。湖周はせいぜい五百メートルくらいか(あとで調べると一・二キロとのこと)。
 四尾連湖とは、四つの尾っぽが連なると書く。なんの尾っぽかといえば、竜だ。四つの尾を持つ竜神さまがここの水底にはいらっしゃるとの言い伝えが古来ある。ただこの水の底にな。湖面の色のこれほどの彩度の高さを見れば、とうてい水底に竜神さまが潜むほどの水深なんてなさそうではあるけれど。
 広さも深さも、ほんとうにささやかな湖。でも、そのサイズ感がいいのだ。掌にぽつりと収まったひとつぶの宝石みたいで、小さいからこそ輝きは増すこともある。

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