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五十年間失敗し続けた男 平田靫負伝 十一 戦さをしても薩摩に勝ち目はない 20220314

 この国で戦乱が日常だったのは遥か昔のこと。ここ百年余りは幕府の大いなる力によって、太平の世が続いていると人は言う。

 が、それは表面上のこと。日の本全体を統治平定し続けるために幕府は、裏で常に権謀術数を張り巡らせてきたに決まっている。

 江戸の藩邸に勤めているあいだ、尾関はそれを肌身に感じてきた。大小さまざまな藩の屋敷やそこに出入りする者は、動静を逐一監視されているのを感じる。逆に幕府の動向には情報統制が敷かれ、少なくとも尾関程度の地位には噂話すらろくに降りてこない。

 辻や城門前で見かける幕府中枢の士族は皆、さすがの緊張感を漲らせた風情だった。表立った戦乱が収まった後も彼らは、武芸ではなく知略によって戦いを継続し、その結果として太平の世を勝ち取ってきたのだと、尾関は凄みを感じたものだった。

 このたび我が藩にふりかかった御手伝い普請の命も、準備金の高の報せ方ひとつからして絶妙である。文言ひとつで薩摩は、まんまと踊らされてしまう。
 この命にさて我が藩は、どう対処すべきか。
 手前の考えなど誰も所望せぬのはわかりきっているが、尾関は頭の中で勝手に想を巡らす。
 
 幕府の命は無茶苦茶であり暴挙であって、これは宣戦と変わらぬ。そう受け取って開戦してみるか。
 威勢のいい薩摩の多くの士は、この案に与するだろう。現に先ほどから、襖ひとつ隔てた詮議の場で、そうした声はいくつも挙がっている。
 ただ問題は、いざ戦ってみても勝ち目などないことである。いくら雄藩の薩摩といえど、幕府の兵力とは比べるべくもない。それにそもそも、好戦論を声高にぶっている藩士らも、実戦経験などない者ばかりだ。
 本物の戦さに駆り出されたとき、ものの役に立つ輩がどれほどいるか。吠える犬ほど肝っ玉は小さいものだろうと尾関は心中で断じた。

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