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「みかんのヤマ」 22 リハビリテーション 20220110

 骨を学んでいると、わたしが日中働きに出ているリハビリセンターでの光景も、すこし違って見えてくる。
 そこは病気や怪我のあと、身体を思うように動かせなくなった高齢者ばかりが来訪する施設。規模が大きくいつも繁盛し、患者とスタッフでごった返している。
 わたしは大量のタオルや運動着を、あちらで回収しこちらへ提供して、を繰り返す。それから運道具から床に壁、ドアの把っ手までと、建物じゅうに消毒スプレーをかけて、布巾でこすって回っていると日が暮れる。

 合間にリハビリの様子をバレないよう、ちらちらと覗き見る。
 たいていの患者は、骨が最小限しか動かなくなっていた。癖になっている「いつもの動作」をする分だけの可動域は確保されているけれど、そのほかの動きの可能性はみずから閉ざし、骨と筋を固まらせてしまっている。

 少数のうまいスタッフは、それぞれの骨が本来持っている基本的な動きをさりげなく促して、本人のできることを増やしてやろうとしていた。
 たとえば人の前腕は、橈骨と尺骨が巧妙に組み合わさって、力など入れずとも手を百八十度回せるようになっているのに、高齢になるとそれを忘れてしまう。
 九十も近くなって足腰はもうダメだという女性がまさにそれで、モノがうまく持てずいよいよ食事も難しくなってきたと嘆いていた。

 担当の色黒な精悍なスタッフは、なかなかのデキる人だった。腕本来の機能を思い出してもらうため、手相を見せてとまずは声をかけ、長生きする相だと軽口を叩き、次いで手の甲の血管も見せてと促し、血色いいから望みはあるよと言いながら両手を取り、そのまま表、裏、表と何度も手のひらを返し前腕を旋回させた。
「お、いいね、よく動く」
 と当たり前のことを褒めて、今度は当人ひとりで旋回運動をさせ、暇なときは手のひらと甲を交互に見る運動をするよう宿題を出しておく。
 それだけでしばらくのち、またリハビリにやって来た当人が、「手が自由になった、若返った」とはしゃいで感謝を述べるのだった。

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