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「若冲さん」 10    20211031

 四代目さんはただの木偶の棒じゃなかったんだ、引き篭もり店主だの何だのと彼を馬鹿にしてきた連中の鼻面に、この絵を突きつけてとくと見せてやりたい。

 とユウは思った。
 しかも四代目は実物の鶏をチラと見ることもなく、スラスラとこの似姿を描いてしまった、ほとんど妖術使いみたいな芸当ができてしまうんだぞと、声を大にして主張したかった。

 そう考えていたら、ユウは思い至った。そうか四代目さんは三年間ずっと庭に放した鶏を見続けていた、あれは鶏を絵に描くための下準備だったのかと。来る日も来る日も鶏を見て、鶏たちのことなら羽先の一枚、爪先の一本まで知り尽くし、思い浮かべることができるようになることが、絵を描くにはぜひとも必要だったのだ。

 してみると、さらりとあっという間に描いたこの一枚の鶏の絵、筆を動かしていたのはほんの数分とはいえ、かように迷いなく運筆するには描くべき鶏の姿を完全に頭のなかに収めておかねばならないわけで、頭のなかに鶏を飼うごとくするにはきっと三年の月日が要った。
 ということはこの絵、三年と数分の時間を費やして描かれたものなのだな。

 すごい、四代目はずっと描いていたんだ、筆など持たずとも。必死に描いている途上だったから、どんな誹謗の言葉も耳に入ったりしなかったのか。当主としての仕事を求められても、手一杯でできなかっただけだ。
「できれば、したくないんだが……」
 と繰り返していた言葉は、「いま手が離せぬゆえ……」という意だったのだ。
 ならばそう言えばいいのに。照れ性だな、とユウは微笑ましい気持ちになった。

 三年と数分を費やした成果たるこの鶏の絵、さあ大事にしなければなりませんねとユウは四代目のほうを見た。と彼はすでに新しい紙を取り出して、いままさにその上に筆を降ろそうとしているところ。もう彼の眼には紙と筆しか映っていない。
 先に描いた絵は、くしゃりと丸めて彼の尻の辺りに一片の紙屑となって転がっていた。

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