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「セールスマンの死」16   20211014

 思えば不機嫌さが骨の髄にまで染み付いているような父だった。とはいえさすがに、日々ずっと苦虫を噛み潰したような顔をしてもいられまい。たまにはこれから始まる一日に何らかの希望を見出して、心が浮き立つときもあったろうか。

 そういえば私がまだ小さいころは、彼のはまだ堪えられる威勢のよさだった。
 人にバカにされるな、好かれなきゃ話にならん。オレなんて人に好かれるという一点で、お前たちを食わせられてるんだぞ云々。
 そんな言葉に、そういうものかすごいんだなと、素直に耳を傾けたものだった。身内に空威張りしているだけに過ぎないけれど、自信満々に語る姿がすこしは誇らしく思えた。

 ん。となると、変わったのはこちらの側か。大きくなるにつれて私がひねくれていき、人を穿った視線で眺めるようになってしまっただけなのかもしれない。

 いま霊柩車は、実家の最寄りの角を右へと曲がる。実直な運転手は、両手をきちんと添えてハンドルを回している。そのさまは、父の意外に律儀な運転のしかたによく似ていた。
 ハンドリングにつれて車体が動き、車窓からの景色がくるっと転回していく。陽光の差し込み具合が変わり、窓の反射が濃くなって、運転席の様子がくっきり映った。一瞬、そこに座っているのは父で、自分は年端も行かぬ子どもに戻っていて、父の運転する車の助手席に乗っているのだと錯覚した。この角を右折するとき、父が丁寧にハンドルを切ると、すぐさま景色が転回していくのがいつもおもしろかった。ああこの人が、あの腕が、ハンドルを回し車を回転させて景色を動かしているんだなと思った。つまり、なかなか頼もしく感じていたんだ。
 

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