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文学の肖像  よしもとばなな×管啓次郎 対談記「うまく生きられないほど純粋な人を書きたかった」 

旅や詩、言葉のつむぎ方、眠る夢の大事さについて。作家のよしもとばななさんと詩人・比較文学者の管啓次郎さんの対談イベント「鳥のささやき、本のはばたき」(B&B)が行われました。ばななさんの長編小説『鳥たち』から、二人の言葉は軽やかに展開していきます。前編は、その作品の舞台となったアメリカ・セドナのエピソードから、作品内で重要な役割を果たす「夢」について。おふたりにとっての「夢の効能」とは?
(初出「cakes」2015年)

『鳥たち』の舞台となる、セドナの“赤い土地”

小説『鳥たち』の主人公、「まこ」と「嵯峨」は、かつてアリゾナでともに暮らした幼馴染み。それぞれの両親を亡くして天涯孤独になり、日本に戻って身を寄せ合い暮らしている。悪夢にさいなまれるまこと、パンづくりに打ち込む嵯峨。家族を失った悲しみを抱えながら、ふたりはゆっくりと自分たちの人生を築いていく。


『鳥たち』よしもとばなな
管啓次郎(以下、管) 『鳥たち』は、アリゾナ州のセドナが大きな役割を担う作品ですよね。
 ぼくは以前アメリカ南西部には5年ほど住んでいて、あのあたりのこともよく知っています。以前よしもとさんに文庫解説を書いていただいた、ぼくの2冊目の本『狼が連れだって走る月』(河出文庫)の文章は、その南西部、アリゾナやニューメキシコで書いたものがほとんどでした。
 ばななさんは、なぜ今回、セドナという場を舞台にすることを思いついたんですか。



『狼が連れだって走る月』菅啓次郎
よしもとばなな(以下、よしもと) ちょっと前から、1970年代の米国をよく知っている若いカップルのことを書きたくて、いちどカリフォルニア州のシャスタという町を取材で訪れてみたんです。すごく平和な感じがして空気もよかった。
 北カリフォルニアの町ですね。美しい姿のシャスタ山が望めて、アメリカ先住民の聖地になっている。
よしもと そう、ただ、そこはあまりに清らかすぎて、その土地から何かを書くことはとてもできなかった。
 そのあと、たまたまアリゾナ州のセドナに行ったら、こんどはなんだかずいぶん怖いところだった。そこは急に世界が「赤」になるんですよ。
 砂岩でできた岩山ばかりの土地で、鉄分を含んだ岩が赤いんだけど、夕日を浴びたときなんて、その赤が尋常じゃない色になるんですよね。
よしもと それでも、けっこう癒しの場なんて言われるんですよ、セドナって。穏やかでピースフルだという。
 だけど私は、怖くてしかたなかった。いつでもなぜかヒヤヒヤしてる。でも今回は、そういう怖いところを小説に出したかったから、セドナが小説のなかで大事な場所になったんです。
 あの土地の赤さには、人の心を掻き立てるもの、騒がせるものがありますね。そんな土地柄なので、スピリチュアルなことに興味のある人が集まって、コミューンをつくって暮らしたり、観光に来る人もけっこう多い。
よしもと パワースポットと呼ばれるのは、たしかによくわかりますよ。
 『鳥たち』は、まさにそうした方面に強い関心を持つ父母に育てられた、2人の子どもの話です。1970年代前後のアメリカの対抗文化が、背景にしっかりとある。もともとそのあたりの時代に興味があったんですか?
よしもと 私が小さいころって、そういう雰囲気がかなり強かったんですよ。独特の、のんびり感を持った学生なんかが、よくいたでしょう。お金なんかよりも、自分がどう生きるかばかり考えているような。そういう人たちを両親に持った子どもたちを、今回は書いてみようと思ったんです。
 その時代の空気はよくわかります。70年代といえばぼくの中学高校時代で、初めてアメリカへ行ったのも中学生のときでした。夏休みの、農場での3週間のホームステイ体験だったんですけど。そのころはローティーンにまでヒッピーカルチャーが浸透していた時期でした。ベルボトムのジーンズを穿いて、絞り染めのシャツを着て、人と会ったらピースサインを交わす。いまみんなが写真を撮るときにする「ピース」じゃなくて、本来の意味でのピース。そういうのが生きていた時代でした。
 なぜそんな文化にあれほど惹かれたかといえば、その根底にはベトナム反戦の思想があったからです。アメリカという国がよそへ行って人を殺し、それが確実にだれかのお金儲けにつながっているということが、あからさまにわかっていた。それでアメリカの若者たちに、自分はそういう社会に参加したくない、ドロップアウトするんだ、という考えがあった。

よしもと それがしっかり根底にあってのファッションだったり、生き方だったはずだと思います、ほんとうに。

うまく生きられないほど純粋できれいな人を書きたかった

『鳥たち』の作品内で重要な位置を占める、「夢」の効能。おふたりにとっての夢や睡眠の価値とは?
 『鳥たち』では、「夢」が大きな役割を果たしているでしょう?  大事な仕事が夢のなかでおこなわれて、彼女の心が治っていく。感動したのは、最後のほうの場面で、嵯峨くんがあることに気づく場面です。「まこ」ちゃんに向かって、「夢を変えたろ?」というんですね。夢の内容がおのずから変わったんじゃなくて、無意識のなかで彼女自身の意志で変えたんだということに、嵯峨くんが気づく。この違いは大きい。夢とはどんなものなのか、嵯峨くんはしっかり理解している。この作品で重要な位置を占めるだけじゃなく、夢ってばななさんにとって、とても大きなものですよね。
よしもと 夢でよく、小説のオチを見たりもしますよ。セドナにいたときは、怖い夢を毎日見ましたね。
 やっぱり人は、ちゃんとたっぷり寝たほうがいいですね。ばななさんみたいに、夢の中でも仕事は着実に進みますから。
 いま、みんな睡眠時間がどんどん短くなっているでしょう。アメリカでの調査だと、都市生活をしている人は、1950年代には8時間寝るのがあたりまえだったのに、いまでは5時間台になっていたりする。じゃあその起きている時間で、何をしているかといえば、仕事しているか、インターネットでジャンク情報を溜め込んでいるだけ。買物したり。寝ずにずっと起きていると、ぜんぜんいいことない。労働と消費と情報に、どんどん自分が食われていくだけです。無意識の世界までが侵食されていく。
 そんなことはやめて、ゆっくり寝たほうがいい。睡眠がいちばん革命的だというのが、最近のぼくの説です。それだけで、人生が変わってくると思うけど。
よしもと この小説を書いたときに思っていたのは、最近あまりにもみんな、せかせかしているようだから、とにかくゆっくりと悩む人を書きたいなということ。あと、とにかく暗い人とか、ずっと悩んでいる人を書きたかった。なんか、睡眠の話とシンクロしそうじゃないですか?
 そうですね。この作品は、人にとってより自然な状態ってなんだろうということを、ずっと考えている感じがします。そのつながりでいうと、嵯峨くんの名前の由来ってどこなんですか? 山扁の漢字がふたつ並んでいますね。山があり、道がある、そういうところにいるのが人間にとって自然なことであるというのが、作品の根本にある思想なんじゃないかと思いました。
 嵯峨くんの仕事が、パンをこねることだというのもいい。こねる、というのは人ができるもっとも美しい行為のひとつです。しかもパンづくりには、酵母の力を借りる。酵母って、母という字が入ってくるし。『鳥たち』は母親をめぐる話でもありますから。こうしていろいろなものが、つながっていく。ばななさんはそれをひと目で見抜いて、物語を紡いでいるんでしょうね。
よしもと うーん、とくにそこまでは考えていなかった(笑)。
 じゃあそれは寝ているときに、無意識の仕事としてやっていたのかな。
よしもと ただ、ふたりのお母さんたちは、すごく魅力的な人だったんだろうなと、書いている間ずっと思ってました。お母さんたちが登場する場面でも、見た目なんかはあえてあまり書いていないけど、もう、この世でうまく生きていけないくらい純粋できれいな人たちだったんだろうというのは、自分のなかで推測できていた。
 実際、私のまわりでも、そういう感じの人が、世の中に疲れたり具合悪くなったりしているのを見かけるので。そんなきれいな人がいたとか、存在するんだということを書きたかったんです。
 きれいな生き方をする人が、厳しい現実に打ちひしがれる時代なのかなというのは、つねに思いますね。
よしもと そういう人も、できるだけ睡眠をとるといいと思います。モヤモヤしたものが、すごくすっきりしますよ。
 そう、よく眠って、仕事はあまりせず、お金はほとんど使わないほうがいい(笑)。

詩は書けないけれど、詩に近い書き方はしている

詩人である管さんと、小説で表現するよしもとさんの、「詩」の捉え方の違いとは。
管 『鳥たち』では、詩も重要なモチーフになりますね。メキシコ・インディオ古謡の『チョンタルの詩』から引用されます。この歌のどこに魅力を感じたんですか。
よしもと どうしてこんな言葉の使い方ができるんだろうと、驚いてしまうんです。メキシコのほうの古代史や古代思想の言葉遣いって、ほんとうに特別だなと思う。
管 ぼくの本来の専門分野はエスノポエティクス、民族詩学です。詳しくは『野生哲学』(講談社現代新書)を見ていただきたいのですが、なぜそこに興味を持ったかというと、ひとことでいえば、そこに宇宙論があるから。先住民の思想では、人間が宇宙のどういう位置にいるかということが、いつだって大問題なんです。そこを出発点にすると、太陽や月、星に興味を持たないわけにはいかないし、植物や動物と人との関係も考えざるを得ない。人間の社会は人間だけのものであって、昔から変わらずにあるという、いま自明のように扱われる人間中心主義とは、対極にある態度です。
 世界の先住民たちはいつだって、なぜ人はここにいるのかということを、一歩ずつ考えていきます。なぜ雨が降るのか、この植物がここに生えているのは何を表すのか。自然のなかのあらゆることが、考えるべき問題になる。北米でも南米でも、世界中のあらゆる先住民は、宇宙のなりたちをまっすぐに問題にしてきました。


『野生哲学──アメリカ・インディアンに学ぶ』
よしもと 北米にもネイティブアメリカンに伝わる言葉や詩がありますが、どうしてメキシコの古代の言葉はあんなに独特なんですか。
 それは、アメリカ大陸全体において、北も南も合わせて、かつて文化的な中心地がメキシコだったことが関係するかもしれない。最先進地域だったんです。メキシコのあたりは古くから圧倒的に人口が多くて、そこに大都市が成立して、口承文学が興った。複雑な言語表現が生まれる素地があったんですね。
 それと無視できないのは、現地の詩が日本語に訳される過程で、メキシコの詩はまずスペイン語に訳される。北米の詩はまず英語に訳されますよね。それぞれのバイアスがかかる。スペイン語は詩をすごく大切にする言語ですから。そんな言語や文化の土壌の違いはあるかもしれません。
よしもと なるほど。謎がひとつ解けました。
 詩といえば、ばななさんは子どものころから、詩にずいぶん親しんできたんでしょう?
よしもと それほどでもないとは思いますけどね。ただ、詩は「最初の表現」って感じはします。文学になる前のものというか。いまの日本の人は、もっと詩を読んだり書いたりするといいんじゃないかな。
 でも、ばななさんも小説を書いているわけですね。ずばり、詩と小説の違いは何ですか。
よしもと 私、詩は書けないんですよ。つい、あいだを埋めてしまうから。貧乏性なんです。
 ただ、自分で詩に近いやりかたをしているなと思うのは、本を開いたときの字の並び方を気にしているところ。あまりギュギュッと詰まらないように意識したり、ここはもうちょっと白いほうがいいんじゃないかといった見方をする。それで、意味のつながりをちゃんと求める、出版社の校正の人と闘う羽目になる(笑)。校正の方から指摘を受けたりすることが多いんですけど、理由を求められても感覚的なものだからどうしようもない。
 私の場合、話の筋ってほぼどうでもいいところがあって、雰囲気として伝わればいいし、読者の方にはイメージだけ持って帰ってもらえたらと考えているんですよ。そういうところは、詩に寄っているのかなと思います。

 ぼくはばななさんの文体が昔から好きです。ひらがなの使い方も、すごくじょうずだし。『鳥たち』なら、嵯峨くんの言葉を「てきとう」と書く。ここは「適当」という漢字じゃなくて、ひらがなで書かないと、嵯峨くんらしい「てきとう」な感じにならない。
 それから、この本のなかでは、詩と歌との関係も出てきますね。冒頭では、青葉市子さんの歌詞が引用されて、小説が始まるかたちになっています。
よしもと 私はそれを「リード」と呼んでいて、すごく大切なものと考えています。曲を知っている人は、ああ、あの雰囲気かと思ってくれるでしょうし。
 じゃあ、きょうはその雰囲気を実際に味わっていただきましょう。特別にいらしていただくことができました。青葉市子さんです。

小説に出てくる人みんなが、それぞれに鳥だな、と

ここで特別ゲストとして、青葉市子さんが登場。さっそく、ギターを抱えて『鳥たち』に引用された楽曲『いきのこり●ぼくら』を歌ってくださいます。
声が響いた瞬間から、会場の空気は青葉さんの色に染まります。

 いやあ……。感動しました。言葉もない。
よしもと (無言でうなずく)。
青葉市子(以下、青葉) ……さっき、夢の話をしていらしたじゃないですか。この曲も、悪夢を見たあとに飛び起きて、書いたものなんです。その悪夢というのが、本のなかに出てくる鳥たちの風景の描写とほぼ一致していて。なので、今回、誘っていただいたときはすごくうれしかったです。
よしもと この曲を聴いて『鳥たち』を書いたんでしょ、とよく言われたりしますけど、そうじゃないんですよね。同じ時期に、2人とも同じ国東半島を訪れ、『鳥たち』と『いきのこり●ぼくら』はできていますから。そういうのを思うと、これはなんだか「書いた」というより、「書かされた」んだなという気がします。
 鳥って、おふたりにとっては、どういう存在なんですか。鳥について、どう考えているんでしょう。
よしもと この小説に出てくる人みんなが、それぞれに鳥だなと感じているのかな。
青葉 わたしも、鳥は好きですね。不思議なことが起こったときには、鳥のせいにしたくなることが多いかも。すごく眠たいときに、いろんなこと考えていると、カーテンレールの凹凸が、鳥や妖精が羽根を休めているように見えてきたり。
 鳥は古代からよく占いに使われたりしてきたし、人類にとってずっと大切な動物なんですよね。何より、空を飛べるっていう能力はやっぱり圧倒的にすごい。
 青葉さん、せっかくの機会ですから、ほかにばななさんに訊いておきたいこと、ありますか?
青葉 そうですね……。ばななさんが、どう過ごしているか、どんな体勢で寝るのかとか、どういうことでキレるのかとか、そういう日常のことが知りたいです。だから、きょう何を食べましたか?
よしもと きょうの昼は、下北沢に最近できたカレー屋さんに行って、海老カレーを食べましたよ(笑)。本格的な南インドカレーですごくおいしい。
 あとは、いま引っ越しをしていてとにかくたいへん。印鑑とか、コンセントにかませるゴムのキャップとか、思わぬものが見つからなくて、どうしても出てこなかったりして。
 ああ、おもしろい。あとでそのカレー屋さんに行ってみよう。よかったら市子さん、もう少し曲を聴かせていただけますか。
青葉 じゃあ。『鳥たち』が刊行されたころにつくった歌で、『鬼ヶ島』です。
そしてまた、青葉さんの歌声が舞い、降り積もり、会場を満たしていきます。

続けて青葉さんは、よしもとさんの新刊『サーカスナイト』にちなんで、七尾旅人さんの名曲「サーカスナイト」のカバーも聴かせてくれました。
小説の言葉と、詩の言葉、そして歌の響き。下北沢の一角で、空間が澄んでいくようなひとときが、ゆっくりと流れていきました。

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