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日本百名湖 五  河口湖

 陽が昇るにつれ、薄くかかった霧が晴れてきて、眼下に広がる水が銀色に光って見えた。
 湖面から視線を上げていくと、すっと伸びる稜線が目に入る。天へ昇っていく方向へ辿っていけば、雪の白さが眩しい。
 山梨県側、御坂峠の頂上近くから眺める富士山と河口湖の光景だ。
 それにしても、姿を現すだけで誰しも思わず「おお、」と声を上げてしまう、富士はまこと千両役者だ。
 富士の魅力の源泉はいったいどこにあるのか。形容か色合いか周囲の環境か。はっきり名指せないが、万人に晴れがましさを感じさせるのは間違いない。
 古今、幾多の人々が絵に描き詩にしたためてきた富士を、太宰治も小説の題材にとった。1939年発表の「富嶽百景」。御坂峠にしばし滞在し、富士を眺め暮らした日々の体験を綴ったものだ。
 ただし、稀代のひねくれ者だった彼のこと、霊峰を見上げ河口湖を見下ろす絶景を前にしても、手放しで賞賛したりはしない。どころか、作中あれこれと毒づいている。
 名画に描かれた山頂の鋭さに比して、
「実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり」
 とひとくさり。続いて、裾野が広いわりには低いとして、
「少くとも、もう一・五倍、高くなければいけない」
 とする。含羞を文学的原動力とした太宰にとって、富士はあまりに堂々と眩しすぎたか。
 けれどそこに滞在し眺め暮らしていると感化されるものはあったよう。山頂に初雪が降った日には、
「御坂の富士も、ばかにできないぞと思つた」
 また、宿近くの路傍に月見草を見つけると、
「富士には、月見草がよく似合ふ」
 といまや人口に膾炙した文言をつぶやいた。
 つっぱりながらも時折り心が揺れ、己の弱さを正直に吐露してしまう。その演出が太宰文学のキモなのだろうと感じる。
 河口湖については谷崎潤一郎も『細雪』作中で、貞之助・幸子夫妻を湖畔に滞在させて描写している。場面を立てるときに用いやすい雰囲気が何かあるのだろうか。


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